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存在と時間(7) 光文社古典新訳文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 光文社 |
発売年月日 | 2020/04/14 |
JAN | 9784334754235 |
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存在と時間(7)
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商品レビュー
4.5
3件のお客様レビュー
時間をメインとした考察が続いている。 用語も含めて難解な部分が多い。それでも自分なりに考えながら読み進めてきた。 哲学に詳しい人や賢い人がどのようなコメントをするかはわからないが、今になってようやくわかりかけてきたのは、本書は人間が本来の姿に気がつくために、今までで常識としてと...
時間をメインとした考察が続いている。 用語も含めて難解な部分が多い。それでも自分なりに考えながら読み進めてきた。 哲学に詳しい人や賢い人がどのようなコメントをするかはわからないが、今になってようやくわかりかけてきたのは、本書は人間が本来の姿に気がつくために、今までで常識としてとらえられてきた事柄を事細かに考察し、それが本当なのか主に存在と時間と言う対象について分析し、定義しなおしてきたということではないか、ということだ。 考察を続ける中で、人間は本来の姿ではなく、映画「マトリックス」のように、俗世にまみれて流されて生きている、ということが語られてきた。ただ、俗世にまみれて生きることがデフォルトになっているのだったら、それが本来の姿なのではないか、という疑問が「解説」で提示される。そして、その問いは解決されないままだそうだ。どうやら、われわれは「ネオ」にはなれそうもない。 時間については、未来・現在・過去という概念ではなく、将来・現在化・既往が根源的な時間概念だとされる。 「解説」によると、どうやらハイデガーのいう「根源的な時間概念」というのは、宇宙のはじまりから未来永劫にわたって続いていくベクトルのことではなく、個人の生きている時間のことのようだ。つまり、「時間には終わりがある」というものだ。 そして、時間のベクトルに沿って、まだ訪れていない時間が「未来」、この瞬間が「今」、過ぎ去った時間が「過去」というのが通俗的な解釈だが、本書では「将来と既往」つまり、「未来と過去」が「現在」を作るのだという。 これについては、「解説」のたとえがわかりやすい。 「私が、今、庭で巣箱を作っているとする。これは将来息子にその巣箱を渡すためであり、過去において息子と、巣箱を作って渡すという約束をしたからだ」というもので、「今・現在」は、未来の予定、過去の約束や履歴によってはじめて実現される。 これを読んで思ったのだが、「存在と時間」の「時間」とは1分は60秒、1時間は60分、といったいわゆる時間のことではないのだろう。「存在と時間」というのは「人間と一生」というものなのだろう。なぜ「存在と時間」というタイトルにしたかというと、「人間と一生」という言葉にはノイズが多いというか、厳密さに欠けるからではないだろうか。 ハイデガーはここに至るまで、あらゆる言葉を定義しなおしてきた。そうやって、みんなが当たり前だと思っているものを、時計を分解してごみを取り除いてもう一度組み立てなおすようなことを延々とやるのが哲学というものだから、「存在と時間」という厳密に定義された言葉を使う必要があったのだろう。 ここにハイデガーのオリジナリティがあるのだと思う。 人間とはなにか、という根本的な問いについて、ギリシア哲学までさかのぼって再定義する。 そして、人間は俗世にまみれて本来の姿を見失っているとか、個人にとっては生きている間だけが時間で、それ以外は時間ではない、そもそも時間という概念は直線のベクトルでは表現できないものなのだ、といった考察に至ったということだろう。 前述のように、俗世にまみれて生きている状態は、映画「マトリックス」そっくりだ。そして時間の概念は映画「メッセージ」で応用されている気がする。あの映画も、未来・現在・過去などというものはないのだという概念をSF的に使っていて、本書を意識しているのではないかと思う。 非常に難解で、うんうん唸りながら読んでいるのだが、そうやっていると、ふとイメージとして理解できる時がある。その喜びや面白さが好きで哲学を読み続けている気がする。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
最後まで読んでみないと何ともいえないが、極端に言えば何らかの形で表現されたものは遅かれ早かれ頽落的なものになり得る(それがひとの進歩なのだとすれば、まあそうだ)のかもしれない。しかし生まれ出た以上「わたし」の外にある存在者に影響を与え続けなければ生きるどころか記憶を積み重ねていくことさえままならないのも事実だろう。ある意味で人生とはそんな「わたし」をできるだけ広げようとすることであるかもしれない。(しかしもちろんたいてい肝心なところは見て見ぬふりである)
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いよいよ、時間性の概念が論じられて、議論に動きが出てきた。残るはあと一分冊。今までの分冊を再読しつつ、出版を待ちたい。
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