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なみだふるはな 河出文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2020/03/06 |
JAN | 9784309417363 |
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商品レビュー
3.6
8件のお客様レビュー
旧き良き時代のような回想もあるが、様々なものを脱ぎ捨てて今の世の中になってる。 水俣のことは「苦海浄土」を読んでみるか。フクシマは既に知っている。
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「椿の海の記」を探していて、横に並んでいたので一緒に買って読んだ。藤原さんが水俣と福島原発をうまくつないでいる。1983年のことのようだが、当時の敦賀市長の発言が取り上げられている。これはもうありえない。いまなら、ではなく、その当時でも、こういう人が首長をしているとか、もう考えた...
「椿の海の記」を探していて、横に並んでいたので一緒に買って読んだ。藤原さんが水俣と福島原発をうまくつないでいる。1983年のことのようだが、当時の敦賀市長の発言が取り上げられている。これはもうありえない。いまなら、ではなく、その当時でも、こういう人が首長をしているとか、もう考えただけで情けない。「そりゃあもうタナボタ式の町づくりができるんじゃなかろうかと・・・みなさんに原発をおすすめしたい。その代わりに百年たって片輪が生まれてくるやら、五十年後に生まれた子どもが全部、片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階ではおやりになったほうがよいのではなかろうかと・・・」ああ、もう書き写しているだけで腹が立つ。まあ、いまも基本のところでは何も変わらないから原発はなくならないのだろうな。藤原「自然と一体化した共同体というのが昔はあったわけですね。たぶんそのままでよかったんでしょう、ほんとうは。そのまま時間が止まっていれば貧しいながらも平穏な世界がそこにはあった。」石牟礼「私、そういう話をずっと書きたいなと思っていました。・・・」十分に書いてくださっています。十分伝わってきております。そしてこの流れで、タヌキの大金玉の話。それを84歳になる女性と67歳の男性が話していなさる。電車の中で読んでいて、私は笑いをこらえるのに必死でありました。
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石牟礼道子さんと、藤原新也さんの対談。東日本大地震の、いや、福島原発事故の後、3ヶ月後から行われた対談。石牟礼道子さんの語りが美しすぎて、、藤原新也さんの子ども時代との共通体験に話は滑らかに進行するが、今から10年前のこの時にも、今なお水俣病を発症し何世代にもわたりこの病に苦しま...
石牟礼道子さんと、藤原新也さんの対談。東日本大地震の、いや、福島原発事故の後、3ヶ月後から行われた対談。石牟礼道子さんの語りが美しすぎて、、藤原新也さんの子ども時代との共通体験に話は滑らかに進行するが、今から10年前のこの時にも、今なお水俣病を発症し何世代にもわたりこの病に苦しまへている方がいる、この衝撃。私も学生の頃水俣にお伺いして、とてもおいしいお刺身をご馳走になり、今風に言えば、本当に利他の心、そしてダライ・ラマの教えに通じる慈悲の心に満ちた方々にお会いした、美しい海、風景を思い出しながら、今なお、、と思うと怒りが湧き起こる。当時は成長成長で風景を壊し環境や生命を破壊破損しそれが正義だったけど、本当に地球の主人は人間ではない。人間は山も海も全ての資源をお借りしているのだ。金持ち連中や金持ち国家がもう資源取り尽くし温暖化と環境破壊で終わりゆく地球横目に宇宙にまで出張って自分のものでもない他の星をなんとかしようとしているのがこの対談から10年後の今。山のものをとるとき、海や川のものをとるとき、とりすぎませんので少し分けてくださいとお断りして採取する、そのようにして共生、それが共生であり、いまは免罪符の流行り言葉いや流行り病のようにSDGsとか叫びながら煌びやかに資源とお金を使い広告垂れ流しで、ほぼすべてグリーンウォッシュのように見える、外形標準整えて、今まで我が物と勘違いし好き勝手した分お返しなければ、という気持ちはない。自分たちの都合と延命のためのSDGsと思えないか、 水俣の患者さん、被害者さんが、不平等、傲慢な和解をさせられてきた中で、チッソも国も世間も誰もわかってない、理解しない、しようともしない中で、水俣病になってよかったばい、と、おっしゃる。憎しみと許しという章で石牟礼さんがはっきりとおっしゃる。いままでずっと書いてこられたことだ。 引用 世間の人たちもわかってくれなかった。なんでこう苦しまなければならないんだと考えて、「あんたたちは誰も病まんけん、代わって俺たちが病んでいるんだ」という気持ちになられるのです。なんでわたしたちが病むんだろう。回復不能の病気をなんで病まなければならないのか。みんなの代わりに病んでいるんだ。「病むと言うことを知らない日本国民、病んだものの気持ちもわからない世間さまに対して、わたしたちが代わって病みよったぞ」と自分で思い聞かせることにした。、とおっしゃっています。 引用終わり 病まん人の分までわたし共が、うち負うてゆく、全部背負うてゆく。 このことがそのまま2010年代に原発事故と被爆でのさらなる棄民に無反省、無知の連鎖に連なっていく。社会科の時間に水俣病とか公害病のこと習うんだろうけど一行二行教科書に書いて読むのではなくこのような文章を読んだりして学んでいくことはできないものか。偉そうな書き振りになり心苦しいが例えばテレビだってなんだってSDGsとかなんとか声高く喧伝するなら、グルメ番組とかに大半の時間使わず垂れ流さず視聴者をバカにせずに、このような美しい言葉、思想、本質に触れるようなものを作れないものか。まとまりきらないが石牟礼道子さんは人智を超える存在と再認識。映画ミナマタを見る前に読んだ。このような美しい言葉、美しい生きざまをたっぷりとお示しいただき、もう映画見なくても良いか、と思ったり。
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