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カウンターカルチャーのアメリカ 第2版 希望と失望の1960年代 ACADEMIA SOCIETYNO.12
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 大学教育出版 |
発売年月日 | 2019/10/20 |
JAN | 9784866920412 |
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カウンターカルチャーのアメリカ 第2版
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ロック音楽、LSD、社会風刺劇団とそこから派生した社会活動団体、コミューン、東洋文化の5つの中心的なテーマと、関連するテーマとしてニュー・ジャーナリズム、インディペンデント・シネマ(ニュー・シネマ)、パーソナル・コンピューターの誕生を採りあげ、1960年代後半にアメリカで起こったカウンターカルチャーを概観する。 戦後の好景気により、アメリカでは大量生産・大量消費の経済繁栄により、郊外のマイホーム、感電製品、高等教育などが中流階級のアメリカ人の間に普及し、高度資本主義のもとで一定の規格化されたライフ・スタイルが確立された。そして、公民権運動、キューバ危機、ヴェトナム戦争、米ソの宇宙開発競争、環境問題など、1960年代には世界を揺るがす事件が立て続けに起きた。そんななか、既成権力や親世代の価値観に抵抗して、若い世代が独自の文化を作った現象がカウンターカルチャーだった。 冒頭にあげた事象の流行に共通するのは、高度資本主義・物質至上主義に支配された社会の変革と、その一歩としての身体感覚を通した自己の解放・変容だった。ロック、LSD、東洋思想は自己の解放や変容を、コミューンは新しいライフ・スタイルの模索を目指した。しかし、ロックは資本主義的生産体制のもとで生産されていたし、アメリカにおける東洋文化の浸透は経済発展のもとで大学教育が普及した結果であった。水平的人間関係による集団運営や慣れない農作業といった原因でコミューンも長続きしなかった。(理想主義的なコミュニティをつくるという運動は、18世紀以降のアメリカにはたびたび登場する) 1968年にはキング牧師、ロバート・ケネディの暗殺、シカゴでの学生デモ隊と警備隊の衝突、翌年にはチャールズ・マンソンのテイト殺害事件やオルタモントの悲劇が起こる。1970年にはケント州立大学、ジャクソン州立大学に警察・州兵隊が介入し学生が死亡するという事件が起こる。そして、1973年のオイルショックをきっかけに、戦後から続く好景気が終わりを告げる。こうしてアメリカ国民が「終わり」の感覚を共有するなかで、カウンターカルチャーの隆盛も終焉を迎えることになった。しかし、カウンターカルチャーが提起した問題意識は、東洋宗教や瞑想による全体性の回復を目指すニューエイジに継承されることになる。カウンターカルチャーが反理性・反科学を標榜したのに対し、ニューエイジは科学的見地から自己能力の拡大の可能性を探った。 パーソナル・コンピューター(PC)の発達にもカウンターカルチャーは影響を及ぼしている。当時コンピューターは政府や大企業が独占するテクノロジーで、ヒッピーたちは自分たちを管理・抑圧するもとの捉えていた。しかし、コンピューター好きの若者たちは、個人がコンピューターを持てば権力にやりこめられない武器となり、個人の幸福感を増す手段となり得ると直感していた。個人の力を増大させることで、社会全体の改良につなげようとする思想は、カウンターカルチャーと共通するものだった。 第2版では、カウンターカルチャーの前史としてビート・ジェネレーションについて1章分新たに書き下ろされている。 1950年代後半に席巻したビート・ジェネレーションは、アメリカ社会の安定を揺るがす危険分子と見なされていた一方で、政治的保守化、生活様式の画一化、物質的繁栄がもたらした精神的空虚感に対するアンチテーゼとして、ジャズ、ドラッグ、セックス、実存主義哲学、東洋思想、放浪などの手段で、人間性の回復を目指した革新的な文化運動とも評価されている。 同じく「反抗」の象徴と捉えられていたカウンターカルチャーとの違いは、メディアとの付き合い方にあった。1950年代はテレビが普及し始めた時代であり、ギンズバーグやケルアックらテレビのない時代に育ったビート作家たちは、テレビの時代には「セレブリティ」としての役割を負わされた。一方、約10年の時代差があるヒッピーたちはメディアの使い方を心得ていて、自分たちの体の延長としてメディアを利用した。 ビート作家やビートニクと呼ばれた人たちは、大量消費社会や画一的ライフスタイルに対して批判的なスタンスをとったが、そのメッセージが伝播されるためには、前提として大量消費社会が必要だった。この矛盾はカウンターカルチャーにも引き継がれることになった。
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