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六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す ミネルヴァ日本評伝選
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | ミネルヴァ書房 |
発売年月日 | 2019/05/22 |
JAN | 9784623086399 |
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六角定頼
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信長で戦国時代を覚え人間としては六角氏と言えば 義昭を奉じての上洛作戦の前日に信長を裏切り三好氏 が衰退する足利義栄が先に将軍になったエピソードだ 前年の永禄八年に足利義輝暗殺の時に弟一乗院覚慶= 義昭が巻き込まれずに逃げおせた時は「珍重」と無事 を善きことと捉え、自領の矢島潜伏...
信長で戦国時代を覚え人間としては六角氏と言えば 義昭を奉じての上洛作戦の前日に信長を裏切り三好氏 が衰退する足利義栄が先に将軍になったエピソードだ 前年の永禄八年に足利義輝暗殺の時に弟一乗院覚慶= 義昭が巻き込まれずに逃げおせた時は「珍重」と無事 を善きことと捉え、自領の矢島潜伏を黙認したが翻意 して捕縛を試みたのだ(前日まで隠し通した) この六角承禎の親が本書の主人公にして三好長慶より 先に天下人として幕政を仕切っていたと分かり驚いて いる・・・二度も将軍の討伐を受けた30年後は幕府 の重鎮からの管領(?)まで到達するのが混迷してい る室町時代なのだろう(´・ω・`)戦国時代の前史
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六角氏は南近江を地盤とした鎌倉時代からの近江国守護である。戦国時代には隣国の伊賀国にも勢力を伸ばしていた。六角氏は守護大名が戦国大名化した先駆者である。定頼は家臣団を本拠の観音寺城に集住させたり、城下町に楽市令を出したりと戦国大名の政策を先取りしていた。 定頼は六角高頼の次...
六角氏は南近江を地盤とした鎌倉時代からの近江国守護である。戦国時代には隣国の伊賀国にも勢力を伸ばしていた。六角氏は守護大名が戦国大名化した先駆者である。定頼は家臣団を本拠の観音寺城に集住させたり、城下町に楽市令を出したりと戦国大名の政策を先取りしていた。 定頼は六角高頼の次男として誕生した。家督は長男の氏綱が継ぎ、定頼は相国寺鹿苑院で出家した。しかし、氏綱が戦傷で亡くなると還俗して家督を相続し、室町幕府第一〇代将軍・足利義稙の近侍として仕えた。 定頼は大永三年(一五二三年)に家臣団を観音寺城に集住させる城割を命じた。これは大名が家臣団に集住を命じた最初の記録である。観音寺城は石垣の城で中世の城郭としては珍しい。但し、観音寺城は多数の支城のネットワークで防衛する城であり、一国一城の観点では不完全であった。 定頼は足利義晴を第一二代将軍に擁立することに貢献し、足利将軍家の後盾となった。足利義晴から天文一五年(一五四六年)に管領代に任命され、事実上の天下人として畿内に君臨した。上洛時には将軍専用の赤い毛氈の鞍覆いを乗馬にかけことを許されていた。将軍を奉じて天下に号令した点で織田信長の先駆者的な存在である。今川義元や武田信玄ら戦国大名は上洛して天下に号令する夢を持ったが、そのような夢を与えた人物ともいえる。 定頼は天文一八年(一五四九年)に観音寺城の城下町の石寺に楽市令を出した。これは記録に残る日本で最初の楽市である。これにより、観音寺城下を一大商業都市に成長させた。後に織田信長は観音寺城の近くに安土城を築いて本拠とする。これは観音寺城下町の発展という過去の資産があってのものである。
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六角定頼の事績を中心に、戦国期近江六角氏の歴史をたどる一冊。定頼自身もさることながら、先代高頼・次代義賢も存在感のある人物だったようで、自分の中の同時代史の印象をうまく更新させられたかなと思う。
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