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世界史の実験 岩波新書1762
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2019/02/21 |
JAN | 9784004317623 |
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世界史の実験
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3.4
10件のお客様レビュー
本書は、著者の創造性溢れる柳田邦男論とでもいおうか。第一部では彼の著作「実験の史学」を引き合いに考察を進める。歴史は実験できるのか?という問いに対し、自然実験も自然が実験をするのではなく、実際は人間による比較分析であることを挙げ、柳田の郷土研究はまさにこの視点に立脚していると説く...
本書は、著者の創造性溢れる柳田邦男論とでもいおうか。第一部では彼の著作「実験の史学」を引き合いに考察を進める。歴史は実験できるのか?という問いに対し、自然実験も自然が実験をするのではなく、実際は人間による比較分析であることを挙げ、柳田の郷土研究はまさにこの視点に立脚していると説く。新渡戸稲造や藤村藤村にまつわる話が興味深い。第二部は「山人から見る世界史」とあるが、柳田邦男についてのアラカルトな試論か。著書名並びに第一部と第二部の関連性がいまいちピンとこないものの、内容そのものは興味深い。
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「世界史の構造」から深い感銘を受けていたので、深く考えずに本書を購入しました。結論は大変満足しています。毎回思うのですが、柄谷氏の論考は正しい/正しくない、という軸よりも面白さ、あるいは技量で評価すべきではないかと思います。私が思う柄谷氏の面白さとは、思いもよらぬ点を結びつける力...
「世界史の構造」から深い感銘を受けていたので、深く考えずに本書を購入しました。結論は大変満足しています。毎回思うのですが、柄谷氏の論考は正しい/正しくない、という軸よりも面白さ、あるいは技量で評価すべきではないかと思います。私が思う柄谷氏の面白さとは、思いもよらぬ点を結びつける力です。本書の冒頭では柳田国男とジャレド・ダイアモンドを結びつけておられますが、この2人を結びつけられるのは世界で柄谷氏だけでしょう。その後も素人には予想もつかない分野の思想が新たに結び付けられて、柄谷ワールドとも呼べる立体曼荼羅的な世界観が繰り広げられています。その意味では、あたかもチベット密教の僧侶が多彩な色の砂を使って、地面の上に美しい砂曼荼羅をライブで描いている様をみている観光客のような気分といえるかもしれません(驚嘆のまなざしで、そういう模様が浮かび上がってくるのか・・・とみているような感覚)。 本書のなかで、柳田国男が陸の道だけでなく(識別不能な)海の道にも着目して文化の伝搬パターンを考えた、という点は特に面白いと感じました。インターネット全盛時代、つまり「電子の道」全盛の現在に照らすと、日本のアニメなどは簡単に物理的な距離を超えて伝搬し、日本語の単語も世界にひろまっているようです。そのような状況を数百年後の文化人類学者が発見したら、さてどう判断するのだろうと思ったりしました(あるいは高度なAIがズバッと伝搬経路を特定化してしまうのかもしれませんが・・)。
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歴史は実験可能。自然選択という意味で。再現性を持つという意味ではない。ロシア革命や国際連盟の創設は社会変革の実験の典型。マルクスやカントの構想した理念。エスペラントの運動も実験例として挙げられる。フランスの反対で挫折したらしいが、自然発生では無い、人工言語の公用語化だ。 しかし...
歴史は実験可能。自然選択という意味で。再現性を持つという意味ではない。ロシア革命や国際連盟の創設は社会変革の実験の典型。マルクスやカントの構想した理念。エスペラントの運動も実験例として挙げられる。フランスの反対で挫折したらしいが、自然発生では無い、人工言語の公用語化だ。 しかし、人間の営為が理念を裏付けにしている事を明らかにした時点で、行動は全て実験的側面を持つため、史実における実験とは、その規模感の相違が定義する限りではないだろうか。歴史的トピックスとして取り扱われた事象に対し、それを世界史実験と呼ぶべきかは疑問。日本の英語教育はそうではなく、エスペラントはそうだという取捨選択は、思考実験としてはただのジャンル分けという気がする。 しかし、考察は面白い。マルクスは商品が貨幣と交換される事に「命がけの飛躍」を見出すが、キルケゴールも神への信仰を「命がけの飛躍」と呼び、それをなし得ない状態を「絶望ー死に至る病」と呼んだ。マルクス的には売れなかった商品。同時代人の二人の視点。ヘーゲルの観念論的哲学の転倒とも結びつけるが、結局、受け容れられなかった幻想こそ認知共有における死であり、そこに信頼を託す様が命がけという表現にも思える。言語ゲーム、認知共有されぬ孤立した思想は、歴史を作らない。死というよりも、生誕の否定。個人的な妄想。 理念は社会的に受容された時点で実験として成立し、具象化し観察されれば、認知共有され歴史となるのだろう。それだけの事、という気もするが。
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