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敗北者たち 第一次世界大戦はなぜ終わり損ねたのか 1917-1923
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | みすず書房 |
発売年月日 | 2019/02/19 |
JAN | 9784622087618 |
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敗北者たち
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商品レビュー
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「第一次世界大戦」と括られる暴力の渦について、それが終戦という形を迎えて尚、いかにして新たな暴力へと変質し、連鎖していったのかを仔細に語る一冊。 戦勝国側の目線から比較的平穏だったと認識されがちな「戦間期」における、継続的で壊滅的な暴力の内実が、緻密な調査と論理によって明らかに...
「第一次世界大戦」と括られる暴力の渦について、それが終戦という形を迎えて尚、いかにして新たな暴力へと変質し、連鎖していったのかを仔細に語る一冊。 戦勝国側の目線から比較的平穏だったと認識されがちな「戦間期」における、継続的で壊滅的な暴力の内実が、緻密な調査と論理によって明らかにされる。「敗北者」とされるヨーロッパの帝国の具体的な崩壊過程を扱うとともに、より広い観点からは、あまたの暴力が呼び起こされた根源的理由を戦後体制そのものの欺瞞の内に見る。
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https://kinoden.kinokuniya.co.jp/shizuoka_university/bookdetail/p/KP00031189/
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数年間、全体主義、とくにナティス・ドイツ関係を読んでいるのだが(といっても読むのがしんどい本も多くて、遅々として進まない)、読んでも、読んでも、どうしてこんなことになったのか、わかった気にならなかった。 が、ついにちょっとわかった気になる本に出会った感じがする。 この本は、直...
数年間、全体主義、とくにナティス・ドイツ関係を読んでいるのだが(といっても読むのがしんどい本も多くて、遅々として進まない)、読んでも、読んでも、どうしてこんなことになったのか、わかった気にならなかった。 が、ついにちょっとわかった気になる本に出会った感じがする。 この本は、直接的にナティスドイツを扱っているわけでないが、その前史のようなものをヨーロッパレベルで記述している。 歴史的には第一次世界大戦は、1918年11月に終わったとされるのだが、著者は、敗者にとっては、それは新たな暴力、内戦、戦争の始まりでしかなかったと主張する。 という視点で、ロシア革命後のロシアでの大粛清、内戦。そして、ドイツ、オーストリア、トルコというかつての帝国の崩壊。そして、戦勝国なのに十分な領土の拡充と国際的な地位を得ることができなかったイタリアや日本の状況が語られる。 そうしたプロセスのなかで、暴力のエスカレーションの過程として、軍と一般人をわけない暴力行為、残虐行為が蔓延していき、他の人種への憎悪が積み重なっていく。 読んでいると、だんだん人の死に関する感覚が麻痺してくる。これで何千人死んだ、何万人死んだ、何十万死んだ、人口の何%が死んだみたいな記述が果てしなく続く。 第一次世界大戦は、総力戦で、すべての国民と資源が投入された戦いであったわけだが、全ての人が動員されたがゆえに、負ければその国の体制は崩壊せざるを得ないわけだし、買った国も賠償金なり、領土の拡張がないのなら、その政府も崩壊せざるをえないわけだ。 こうしたなか、アメリカのウィルソン大統領は、14条の平和原則なるものを出して、敗戦国は、その理想主義的な内容を信じて、戦争を終了させるのだが、実際に講和会議になってみれば、敗戦国は支払い不能な賠償金や領土の割譲を要求される。そして、屈辱を徹底的に味合わされ、いつの日にか復讐することを誓いつつ条件に署名をするのだ。(条約に署名した人はあとで暗殺されたりする) これはやはり大きな詐欺とでもいうもの。そして、ウィルソンの民族独立による国の独立という原則は勝者にしかゆるされず、敗者はこの原則に逆行して分断される。 さらに、こうした民族独立という原則が、多民族国家における民族間の対立を強め、かえって人種主義の蔓延につながっていく。 こうして第一次世界大戦は終わりながらも、暴力の連鎖は 1923年くらいまで続く。そして、一旦、収まりかけたところ1929年の大恐慌で、ベルサイユ体制への不満、憎悪がふたたび吹き上がり、あっという間に限りない暴力連鎖が再スタートする。 ヨーロッパというと歴史のある文化的な街並みを連想するわけだが、まだ100年も経っていない昔には、とんでもない暴力、残虐行為があの場所で繰り返されていたと思うと、恐ろしい。 また、ベルサイユ体制の受け入れを拒否して、戦いつづけ、トルコ共和国を創立したムスタファ・ケマル・アタテュルクが、ヒトラーやムッソリーニのロールモデルになったという指摘もなるほどと納得。 この歴史の流れを踏まえてみると、ナティス・ドイツがどうしてあそこまで暴力的で、残虐で、かつ国民がそれを支持したのかがなんかわかってくる感じがした。 といっても、ハンナ・アーレントがいうように、なんらかの理解は、一種の承認になるという感覚もあって、「理解できない」ということを自分のなかで維持するというのが大事なのかもしれないと思い始めた。
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