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塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性 岩波現代文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 2018/12/15 |
| JAN | 9784006023034 |
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塩を食う女たち
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商品レビュー
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「苦境にあって人間らしさを手放さずに生きのびることの意味」をおしえてもらいたいと思った著者は40人以上の黒人の女性に会いに行く。 「あたしたちの集団的な独自性を信じるところから始めるべき」と話すユーニスは、修士号を取り白人社会での成功を手放し、黒人の小企業の経営者たちを助ける小...
「苦境にあって人間らしさを手放さずに生きのびることの意味」をおしえてもらいたいと思った著者は40人以上の黒人の女性に会いに行く。 「あたしたちの集団的な独自性を信じるところから始めるべき」と話すユーニスは、修士号を取り白人社会での成功を手放し、黒人の小企業の経営者たちを助ける小さな会社をつくる。それがとても大切なことと感じたから。「接続点」 869の命を取り上げた産婆リジー・マクレアはポーチの揺り椅子に腰掛け、かつて取り上げた赤子たちがトラックや乗用車やオートバイで通りかかり手を振る姿を眺める。そんな彼女は「飢えを知らず、冷気や雨風から身を守る衣類があれば」貧しいとはいわない。「869のいのちのはじまり」 ふたりの死と隣り合わせの女性が登場する。葬儀屋を営むオービー夫人が「生きている者のからだはを抱擁するとき」「死んでいった者たちのたましいを一緒に抱いている」ような人。マティはゲットーで死んだ人の話ばかりをする人。その死は「老齢で天寿をまっとうした者の死ではなく、いつも年の若い者が無残な事故や暴力沙汰や麻薬の盛り過ぎなどで死んでしまった」話。「とむらう者たちはもっとも鋭く生を見つめる者たち」「死のかたわらに」 作家のトニ・ケイド・バンバーラの章「塩食い共同体」トゥガルー大学図書館で働くヴァージアの章「ヴァージア」長年アトランタの公共住宅住民の組織化と生活条件の改善のために活動してきたミセス・アニー・ミラーの章「草の根から」 1981年から1982年にかけて書かれた北米の黒人女性の聞き書きをアジア人女性の私が2025年に読んで何を感じるか。 池澤夏樹が解説で触れているのが、「仕事」と「職業」の違いをトニ・ケイド・バンバーラの娘が言う箇所。賃金や報酬が支払われるのが「職業」黒人共同体の役に立つのが「仕事」。かつての日本にも日々の生活を維持する「かせぎ」と町内の祭りの準備をする「つとめ」があったように。このバランスが難しくて、自分の中で「つとめ」の比重を大きくしたいのかどうか考えている。
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1970年代、著者は知人からの紹介を辿るようにして、何十人もの黒人女性たちから話を聞くプロジェクトをはじめる。話をしてもらうのは、普段インタビューなど受けることがない一般の女性たちがほとんど。ソーシャルワーカー、産婆、葬儀社の経営者、作家、司書などさまざまな職業、さまざまな世代の...
1970年代、著者は知人からの紹介を辿るようにして、何十人もの黒人女性たちから話を聞くプロジェクトをはじめる。話をしてもらうのは、普段インタビューなど受けることがない一般の女性たちがほとんど。ソーシャルワーカー、産婆、葬儀社の経営者、作家、司書などさまざまな職業、さまざまな世代の女たちが語る〈アメリカで黒人女性として生きること〉に耳を傾けた貴重な記録。 タイトルに使われている「塩を食う」とは苦難のメタファーであると同時に、「塩を食べて傷を癒す」=解毒という真逆の意味もあると、本文中で明かされる。藤本さんが訪ねていく女たちは白人のルールや男のルールに抗って傷付きながらも、まさにその抵抗によって自分はアイデンティティを手放さずに生きていけるのだと語る人びとだ。 本書の中心をなすのは作家のトニ・ケイド・バンバーラとの対話。The Salt Eatersという彼女の小説が本書タイトルの由来になった。マイノリティは自分たちを語るための言葉をまず探さなければいけない、というトニの問題意識は藤本さんの次作『ブルースだってただの歌』でも触れられていたことを思いだしつつ、アジアン・コミュニティは白人か黒人のスタイルを借用して済ませていると指摘されているのが興味深かった。それはインタビュアーの藤本さん、そして本書の読者にも跳ね返ってくる言葉として残る。 だが、トニの家の話に移っていく後半はもっと面白い。子ども時代にボーッと白昼夢を見ていてもそのまま放っておいてくれた母の思い出や、執筆に没頭していると代わりに電話にでて「かあさんはいますごく忙しい。窓の外をじっと眺めているけれど、仕事中だから」と答える娘の話など。母娘三代に渡る絆と、創作への深い理解を感じる印象深いエピソード。娘さんは独特な言葉遣いでトニと父親を驚かせてもおり、"独自の言語"に近づいた世代だったのではないかと思う。 藤本さんは抑圧と偏見についてだけ聞きだそうとしたのではなく、彼女たちが受け継ぐ精神性の豊かさについての逸話を引きだそうとする。それこそが自尊心の復権に重要だからである。「接続点」のユーニスは、「日本の女性が黒人の女たちについて知るのは、役にたつかもしれないわね。彼女たちにも同様の心理的圧力あるのかもしれないもの」と話す。彼女たちの言葉は日本の女が自分自身について考える役に立つだけではなくて、日本でマイノリティをどう扱われているかを直視するためにも重要だと思う。ただ励まされるだけではなく、ある面では自分もまた無自覚な強者として振舞ってしまうことを考える。 黒人女性への最初の聞き書き本である本書では、手に職を持っている女性たちの言葉が取り上げられた。続く『ブルースだってただの歌』では、罪を犯して服役中の女性たちの元へ藤本さんは赴く。彼女たちは本書で葬儀の様子だけが語られる20歳のイヴォンヌに似ている。イヴォンヌは倍以上歳上の妻子持ちの男と不倫し、撃たれて死んだ。「高潔」なだけではない彼女たちの現実から、藤本さんは目を逸らさなかった。
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「塩を食う者たち」とは、塩にたとえられるべき辛苦を経験する者たちのことであると同時に、塩を食べて傷を癒す者たちでもある。 塩を食らう者たちは、生きのびること、再生することを願う者たちである。 生きのびるとは、人間らしさを、人間としての尊厳を手放さずに生き続けることを意味してい...
「塩を食う者たち」とは、塩にたとえられるべき辛苦を経験する者たちのことであると同時に、塩を食べて傷を癒す者たちでもある。 塩を食らう者たちは、生きのびること、再生することを願う者たちである。 生きのびるとは、人間らしさを、人間としての尊厳を手放さずに生き続けることを意味している。 知らない国で、起こっていたさまざまな出来事。 挫折を繰り返しながらも生きてきた人のことばを知ることができた。 その中でも、お金なんかなかったけど、道徳の基準は、高かった。いまは、物質は多く手に入るようになったけれど、お互いにいがみ合っているような感じで。物、物、といっているうちに失われてしまう何かがあって、 ということば、それは今はどうだろうか? 道徳の基準は? いつの時代でもどこの国でも考えていかなけばならないのでは…と感じた。
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