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「AI資本主義」は人類を救えるか 文明史から読みとく NHK出版新書571
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | NHK出版 |
発売年月日 | 2018/11/11 |
JAN | 9784140885710 |
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「AI資本主義」は人類を救えるか
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文明史から読みとく はじめに ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」、イマニュエル・ウォーラーステイン「ヨーロッパ的普遍主義」、クリストフ・ボヌイユほか「人新世とは何か」の四冊の本からそれぞれ指針となるキーワードを挙げて、現代に連なる人類史を解説し、AI資本主...
文明史から読みとく はじめに ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」、イマニュエル・ウォーラーステイン「ヨーロッパ的普遍主義」、クリストフ・ボヌイユほか「人新世とは何か」の四冊の本からそれぞれ指針となるキーワードを挙げて、現代に連なる人類史を解説し、AI資本主義のゆくえを探っていきます。 第一章 自然VS.虚構 ー「サピエンス全史」から「AI資本主義の現在」を読む ギルガメッシュ叙事詩やデカルトのことも書かれています。 デカルトの自分と外部、あるいは主体と客体を分けるという見方。「われ思う、ゆえに我あり」の「われ」とは、自然環境を含め自分の周りに存在するものを自分とは別物と捉え、それを「客体」(外部)と認識する「主体」のことです。主体は客体に働きかけ、客体を分析したり、変えたりすることができる。デカルトは、そうした”人間中心の思想”を説いたのです。 自然は自分にとっての外部であるという認識 第二章 データイズムの罠 ー「ホモ・デウス」から「AI資本主義の未来」を考える 第三章 普遍主義 ー「ヨーロッパ的普遍主義」から「AI資本主義の課題」に迫る 別の価値観もあります。独立した個人などは存在しない。人間は生まれたときから特定の共同体に属し、親、きょうだい、親戚、友人などから多様な価値観を植えつけられて成長していく。だから自分が育ったコミュニティが持っている様々な文化や価値観から独立した個人などいない、という考え方です。 普遍的なるものはヨーロッパに限定されるものではなく、その他の地域や国家にもあまねく存在しているはずであり、それらを相互に尊重し合い、つなげていくことでできあがるネットワークということです。 第四章 自然の逆襲 ー人新世とは何か」から「AI資本主義の限界点」を探る 第五章 「排除」から「包摂」へ 日本にも「排除の論理」はある ー「日本的普遍」をいかに磨きあげるか それぞれの地域には人類にとって普遍的な価値を持つと考えられる文化や価値観、社会システムが存在すると捉えるのが自然です。 その中の一つが、包摂の論理に基づく日本の社会原理だと言えるのではないでしょうか。それを日本人自身が冷静に認識し、再評価して、磨くべきところは磨き、是正すべきところは是正する。そして「日本的普遍」として世界に打ち出す。それを持って世界のさまざまな価値観を持つ人たちと切磋琢磨していくという姿勢が必要です。 ここで注意すべきは、日本人が普遍的と考える価値を日本以外の人たちに押しつけてはならないということです。 東レの日覺社長は「世の中はすべて正しいことをやっている」つまり、誰であれ、自分たちの価値観を強制的に押しつけてはいけない。世界でそれぞれの国や人々が行っていることにはそれなりの歴史的理由がある。だから私たちはそこに干渉せずに、世界で行われていることはすべて”正しい”と認めますという態度表明なのです。 同時にこの言葉の裏にあるのは、「だからこそ自分たちの価値観もとことん大事にします」という強いメッセージだと思います。 あとがき 本書のあとがきは二〇一八年一〇月に記されています 現在の世の中では二〇一八年当時ほど明るい未来は思うことはできないと思います
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読後の率直な印象ですが、本書で主題となる「AI資本主義」についての考察が物足りないと感じました。本書では、ユヴァル・ノア・ハラリの世界観でもある「AIが我々の行動指針すべてを決めてしまうデータイズムが支配する社会」という定義で、サラッと記載されているだけで、果たしてそれが正しいの...
読後の率直な印象ですが、本書で主題となる「AI資本主義」についての考察が物足りないと感じました。本書では、ユヴァル・ノア・ハラリの世界観でもある「AIが我々の行動指針すべてを決めてしまうデータイズムが支配する社会」という定義で、サラッと記載されているだけで、果たしてそれが正しいのか、そもそも資本主義というからには、どうやって資本を蓄積していくのか、資本主義はどう変容するのかなどもう少しこの主題について考察してほしいと思いました。 たしかに本書ではハラリの世界観を紹介した後に、これに対して批判的な論考は加えています(そして私自身も同じ意見です)。しかし、資本主義がどう変容するのか、変容させるべきか、についての考察というと、最後の章で述べている「排除から包摂へ」というキーワードが登場するくらいでした。しかしここで疑問に感じるのは、「包摂と資本主義は共存できるのか」という問いかけです。資本主義は外部の存在なくして成り立たない、という見方もあると思います。たとえば岩井克人氏が『ヴェニスの商人の資本論』で述べているように、ユダヤ人という外部の存在がいることによって資本主義が成り立っている、外部の共同体との交易によって資本主義が成り立つ、という意見もあります。これはかなり説得力があると思います。農村共同体だけでは資本主義は発展しません(成員間の互酬原理が強いため)。そうなると「包摂(内部化)」を進めることで資本主義はむしろ弱体化するのではないかとも言えるわけです。逆に言えば資本主義擁護派は、とうてい「包摂」を進めようとはしないだろう、と想像できるわけです。つまり「包摂と資本主義の相剋」のような論点にまで踏み込んでほしかった、という印象です。 また日本は包摂的な社会であるという主張についても、やはり違和感がありました。確かに神道や仏教の包摂性(密教などはヒンドゥー教の神様も包摂していますし)はその通りですが、他方、「ウチとソト」の意識の強さ、またタテ社会的序列意識の強さも日本社会の特色ではあると思います。その意味で日本人、日本社会はAIとどう向き合うのかというと、私の個人的な印象では、AIを「ソト」とみなし、さらに序列的には低く扱うのではないか、少なくともハラリが述べているような、AIを唯一神としてあがめるような世界観を日本人は持っていないだろう、という気がしてなりません。ただ日本人の場合、AIにも霊性を与える可能性は十分にあるでしょう。また人によっては人間とのコミュニケーションを避け、AIとのコミュニケーションだけで1日過ぎてしまう(AIだけが友人)、という人も多くなるかもしれません。日本人論についての理解が足りない印象が強く、丸山だけでなく、梅棹忠夫、ドナルド・キーン、加藤周一、中村元、鈴木大拙・・・・などもっと読んでもらいたいと思いました。
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筆者自身が別の著書を参考にしつつ、その中の根拠を基に、資本主義的な人間の活動分析や次世代の予測を展開し、どう対処するべのが私たちにとって最善であるのかの指針を呈しています。 「進化するテクノロジーに人間が対抗するのは、排除から包摂へと捉え方を変えること」 資本主義の論理とは一...
筆者自身が別の著書を参考にしつつ、その中の根拠を基に、資本主義的な人間の活動分析や次世代の予測を展開し、どう対処するべのが私たちにとって最善であるのかの指針を呈しています。 「進化するテクノロジーに人間が対抗するのは、排除から包摂へと捉え方を変えること」 資本主義の論理とは一見すると矛盾を感じますが、本書と通して読み解くことで、その重要性が理解できます。 AIを初めとするダイヴァースな技術進歩に対して、私たちはただ漠然と「機械に負けないスキルや技術を」と奮闘しがちですが、クリエイティビティーな活動も含め、ほぼ全てがいずれは取って代わられます。 むしろ、そこを窺い知り、技術によって享受できる世界を人間的かつ包摂的な捉え方で迎えることが大事なのだと感じさせられました。
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