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赤牛と質量
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 思潮社 |
発売年月日 | 2018/11/08 |
JAN | 9784783736417 |
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『目をつぶし/嗅覚だけの世界で/わたしは文字を捨て/頭のなかに浮かぶもやもやとした/色彩や矢印/ぶよぶよのかたまりを/浮かぶままにして放置する』―『香水瓶』 小池昌代の詩に長らく惹かれているのは詩の言葉が立ち上げる世界が可視化し易いせいかも知れない。と、この詩集を手にして考える...
『目をつぶし/嗅覚だけの世界で/わたしは文字を捨て/頭のなかに浮かぶもやもやとした/色彩や矢印/ぶよぶよのかたまりを/浮かぶままにして放置する』―『香水瓶』 小池昌代の詩に長らく惹かれているのは詩の言葉が立ち上げる世界が可視化し易いせいかも知れない。と、この詩集を手にして考える。言葉は硬質であったり、意図的なシニフィアンの取り違えをしてみせたり、曖昧さを強調するところもあるけれど。概ね元のモチーフは明確で想像の手の届く範囲に納まるように思える。 それに加えて妙な湿度を感じるところにも惹かれるのだと思う。例えば、次に引用する言葉の流れの中に放り込まれる「罰を受けたんです」という一文に小池昌代の持つ艶めかしさがある、と言ったら変だろうか。 『遠くの雨の匂いを嗅ぎわけるといいます、/ウシだかカモシカだか、わからなくて、/山羊のようなひげがあり、/肩のところには、らくだみたいなこぶ、/ツマリ、どの動物からも仲間はずれ、/そこまでを一気に言い終えると/……つまり ぬーは神様から罰を受けたんですよ』―『雨を嗅ぐ』 しかし、確かに変化しているものも、また、そこには存在する。例えば、若さが問答無用で装備している不可視感に裏打ちされる可能性。それが作用する「投げ掛け」のような下りが、最近の詩にはあまり感じられない。それが良いとか悪いとかではないのだが、射程の長さが短くなっているように思えるのだ。その裏返しで、今を詳細に捉えようとする熱の高さを感じずにはいられない。 自身の詩作に対する批評や批判、それに対する感情を吐露したような詩を読むと、言葉に対する臆病さのようなものが生まれたのだろうかと勘ぐりたくもなる。それ故、言葉の射程を無闇に伸ばさないのだとしたら、それは悲しいことだと勝手に思ったりする。しかし、この詩集のために書き下ろされた詩群はそんな胸のつかえが取れたように清々しい。それだけでまたしても勝手に安堵する。 『何をお飲みになりますか/客室乗務員に/わたしは コーヒー/彼女は/リプトンのティーバッグはあるか、とたずねる/あいにく、リプトンはおいておりません/(そういうことはある/(理由は定かにわからないけれど/(どうしたって/(リプトンのティーバッグでなければならないという場合が』―『ここにはない』 どちらかと言えば、自分はここに書き出したような小池昌代の言葉の並べ方が好きだ。行く先を余り厳密に見定めず。小さな感情の揺れを丹念に掬い上げるような。計算された詩情は、寿命が短い。
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