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革命とサブカル 「あの時代」と「いま」をつなぐ議論の旅
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 言視舎 |
発売年月日 | 2018/10/30 |
JAN | 9784865651300 |
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革命とサブカル
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商品レビュー
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3件のお客様レビュー
セカイ系もなろう系も要は吉本の「共同幻想論」の問題。
自己幻想と対幻想と共同幻想の間の距離が"0に近づきすぎてる"、お互いがベッタリ密着しすぎて距離感を失ってるのがセカイ系。 自己幻想と対幻想と共同幻想のそれぞれが逆立しないで「なんでもかんでも自分の思い通りのセカイ」を構築しようとしてるのがなろう系。 「...
自己幻想と対幻想と共同幻想の間の距離が"0に近づきすぎてる"、お互いがベッタリ密着しすぎて距離感を失ってるのがセカイ系。 自己幻想と対幻想と共同幻想のそれぞれが逆立しないで「なんでもかんでも自分の思い通りのセカイ」を構築しようとしてるのがなろう系。 「人生がクソゲー、だから異世界転生しよう」っていうのは「自己幻想と共同幻想、対幻想の逆率を修正してやるううううう!」ってこと。 なろう系にも「逆境」は登場するけどそれはあくまで「想定の範囲内」の逆境。 創作者がセカイやセカイ観を自分の思った通りに操作ができるという可能性を前提にしたうえでの「逆境」。 昔の創作物は操作不可能な壁が立ちはだかるのを逆境として描写されていた。 吉本が「共同幻想論」で言おうとしてたことは至極簡単で「世の中も男女の仲もそう自分の思い通りにうまくいくもんじゃないよ」ということ。 で、男女の仲を自分の思い通りに操作しようとしてるのが萌え系。 女性である自分の身体に違和感を持ちながら男男の仲を自分の思い通りに操作しようとしてるのがBL。
本は落ちるナイフ
安彦良和氏が弘前時代のかつてのお仲間から聞き取りしたものを中心に、全共闘の世代・時代を総括する。現役の革命家なんて今も存在するのか、もう老人なのに、と私たちはゾッとするが、彼らはアニメーターの道に進まなかった安彦氏自身なのだ。安彦ファンが安彦作品の背後というか奥底をのぞき込むため...
安彦良和氏が弘前時代のかつてのお仲間から聞き取りしたものを中心に、全共闘の世代・時代を総括する。現役の革命家なんて今も存在するのか、もう老人なのに、と私たちはゾッとするが、彼らはアニメーターの道に進まなかった安彦氏自身なのだ。安彦ファンが安彦作品の背後というか奥底をのぞき込むためには必読かと。
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朝の連続テレビ小説「まんぷく」で今まさに新発売されている「まんぷくヌードル」のモデルであるカップヌードルがブレイクしたのは1972年の連合赤軍あさま山荘事件がきっかけである、という説を聞いたことがあります。機動隊員が支給されたカップヌードルを雪の中、立って食べている姿が報道され、...
朝の連続テレビ小説「まんぷく」で今まさに新発売されている「まんぷくヌードル」のモデルであるカップヌードルがブレイクしたのは1972年の連合赤軍あさま山荘事件がきっかけである、という説を聞いたことがあります。機動隊員が支給されたカップヌードルを雪の中、立って食べている姿が報道され、一気に広まったと。1968年の全共闘運動、1969年の東大安田講堂事件、1970年のよど号ハイジャック、そして1972年の連合赤軍事件という半世紀前の出来事をターニングポイントに「政治の季節」から「消費の季節」にガラっと移り変わったのだ、としたら、あさま山荘とカップヌードルの取り合わせは非常に日本の戦後史にとって象徴的なビジュアルなのではないか…と思います。そんな60年代の社会と70年代の社会は表層では非連続であっても深層では連続性があるのである、という熱い想いで執筆されている本です。「革命とサブカル」という一見、相反するテーマの一貫性を「機動戦士ガンダム」のアニメーターの安彦良和が『「あの時代」と「いま」をつなぐ議論の旅』で提示していきます。熱い想い、その一は、青砥幹夫と植垣康博という連合赤軍事件の逮捕者である友人の言葉を残しておきたいという情熱です。弘前大学全共闘時代を共有する仲間の「あの時代」と「いま」を著者にしか出来ない対話で残そうともがいています。熱い想い、その二は、「革命の時代」から「サブカルの時代」に持ち越された脱政治的なカルチャーという見立ての顕在化。全共闘運動の中にサブカルチャー性を語っています。そして巻末に至って「アナーキズムは柔軟でなければならない。雑多で、寛容で、懐疑的で、時にヘソ曲がりで、心情と欲望にあふれていて、そして、何よりも自由でなければならない。そういう性質のために、アナーキズムはそばしば行儀が悪く、非常識で、非生産的で、時にはまったく馬鹿のように見え、じっさい馬鹿だったりする。これはサブカルそのものではないか。」と訴えます。だから、「オタク文化」の疑似政治性やジブリの持っている「日共」的なモノにも違和感を表明しています。「革命家」にならずに「サブカル屋」になった男のワンアンドオンリーのライフストリーですが、日本の文化の見取り図になっていると思いました。前の著書の「原点」よりも「原点」を感じました。
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