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中世武士 畠山重忠 秩父平氏の嫡流 歴史文化ライブラリー477
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 吉川弘文館 |
発売年月日 | 2018/10/18 |
JAN | 9784642058773 |
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中世武士 畠山重忠
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畠山重忠は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、坂東武士の鑑と称えられた。鎌倉幕府の有力御家人になったが、北条氏によって冤罪で滅ぼされる。重忠は武蔵国男衾郡畠山(深谷市)が出生地であるが、さいたま市桜区も領地とした。重忠は武蔵国の武士団の中心的存在であり、桜区は大いに栄えた。 ...
畠山重忠は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、坂東武士の鑑と称えられた。鎌倉幕府の有力御家人になったが、北条氏によって冤罪で滅ぼされる。重忠は武蔵国男衾郡畠山(深谷市)が出生地であるが、さいたま市桜区も領地とした。重忠は武蔵国の武士団の中心的存在であり、桜区は大いに栄えた。 重忠は桜区道場に居館を建てた。ある日、土の中から観音像が出てきた。これを守護仏とし、持仏堂(道場)を建てた。このために道場という地名になった。桜区町谷は重忠の城下町があったことに由来する。桜区宿は道場村に畠山重忠の館があった頃に家が軒を連ねて宿のようであったことに由来する。桜区西堀には重忠の家臣の真鳥日向守の居城の真鳥城があった。日向は地名にもなっていた。国際興業バスのバス停として日向が残っている。 重忠は源平の合戦で活躍する。畠山氏は秩父平氏であり、当初は平家側で戦い、頼朝側の三浦氏を攻めた。その後に頼朝に従った。木曽義仲との戦いでは京都三条河原で巴御前と一騎討ちになった。重忠は巴に近寄って、鎧の袖をつかむが、重忠の怪力にかなわないとみた巴は、すぐに馬にムチをあてて風のように去った。 寿永三年(一一八四年)の一ノ谷の戦いで源義経は崖の上から平家軍を急襲した。「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」である。 「鹿が通るところを馬が通れぬはずがない」 義経は、このように言って一気に駆け下りた。重忠は馬をいたわり、愛馬の三日月を背負って崖を降りた。奥州征伐では重忠は先陣を務めた。 重忠は京に住んでいた経験があり歌舞音曲の素養があった。静御前が鶴岡八幡宮にて頼朝の前で舞を舞った際に重忠は銅拍子を打った。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では北条泰時が重忠をあらゆる面で優れた武者と絶賛していた。
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鎌倉幕府成立に貢献した有力武士畠山重忠について、出自となる秩父平氏の展開や勢力圏の実態を踏まえ、その中世武士としての在り方を探る内容。平姓畠山氏の後継としての源姓畠山氏という視点は興味深いものがあった。
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「謀反の噂をたてられるのはかえって名誉であると豪語した鎌倉時代の武士・畠山重忠の実像に迫る研究。秩父平氏の内部での対立抗争から、武蔵国で地盤を築いていく流れ、畠山氏と京都のつながり、それによる地方支配の権威づけなど、廉直豪胆な武士として『平家物語』や『吾妻鏡』に描かれる重忠の言動...
「謀反の噂をたてられるのはかえって名誉であると豪語した鎌倉時代の武士・畠山重忠の実像に迫る研究。秩父平氏の内部での対立抗争から、武蔵国で地盤を築いていく流れ、畠山氏と京都のつながり、それによる地方支配の権威づけなど、廉直豪胆な武士として『平家物語』や『吾妻鏡』に描かれる重忠の言動を支えた社会的背景が、様々な史料から描かれている。
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