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身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から 新潮文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2018/06/28 |
JAN | 9784101214917 |
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身体感覚で『論語』を読みなおす。
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4件のお客様レビュー
能楽師であり、主催する寺子屋で論語の読み直しを試みる著者が、その読み直しの過程を明快に解説しています。 例えば「不惑」について。「四十にして惑わず」という従来の読みでは、どうしても論語の雰囲気にそぐわないと著者は考えました。そんな自慢話は孔子には似つかわしくないのです。 孔子が生...
能楽師であり、主催する寺子屋で論語の読み直しを試みる著者が、その読み直しの過程を明快に解説しています。 例えば「不惑」について。「四十にして惑わず」という従来の読みでは、どうしても論語の雰囲気にそぐわないと著者は考えました。そんな自慢話は孔子には似つかわしくないのです。 孔子が生きていた時代には「惑」という漢字は使われていなかったという事実に著者はたどり着き、文字を置き換えることで孔子の言わんとしたことを推測しようと試みます。詳しい過程は省きますが、孔子が使ったであろう文字は「或」だ、という結論に著者はたどり着きます。 境界によって、ある区間を区切ること、狭い枠に囲い込むことが「或」です。そして著者はこう述べます。 四十、五十になると、どうも人は「自分はこんな人間だ」と限定しがちになる。「自分ができるのはこのくらいだ」とか「自分はこんな性格だから仕方ない」とか「自分の人生はこんなもんだ」とか狭い枠で囲って限定しがちになります。「不惑」が「不或」、つまり区切らずだとすると、これは「そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃいけない」という意味になります。(24頁) 『論語』雍也篇にも、自らの限界を定めて、その先の努力を怠る言い訳にすることを厳しく諌めたくだりがあります。「不惑」が「不或」であり「限界に閉じこもってはいけない」という戒めだとすると、「不或」はより多くの感銘を私たちに与えてくれます。
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twitterのリンクで知った書籍。安田登は能楽師である。伝統的な身体操作は古(いにしえ)の人々と同じ脳の部位を刺激することだろう。温故知新(「子曰く、故〈ふる〉きを温〈たず〉ねて新しきを知る、以て師と為るべし」『論語』)の温故である。 https://sessendo.blog...
twitterのリンクで知った書籍。安田登は能楽師である。伝統的な身体操作は古(いにしえ)の人々と同じ脳の部位を刺激することだろう。温故知新(「子曰く、故〈ふる〉きを温〈たず〉ねて新しきを知る、以て師と為るべし」『論語』)の温故である。 https://sessendo.blogspot.com/2020/01/blog-post_33.html
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古代中国の文字で読むと、論語の解釈が変わってくる。 なるほどーと思ったけれど、それ以上にこの安田さんの多才ぶりに驚愕する一冊でした。 また論語を少しずつ読んでみようと思います。
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