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エコロジカル・デモクラシー まちづくりと生態的多様性をつなぐデザイン
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エコロジカル・デモクラシー まちづくりと生態的多様性をつなぐデザイン

ランドルフ・T.へスター(著者), 土肥真人(訳者)

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エコロジカル・デモクラシー まちづくりと生態的多様性をつなぐデザイン

定価 ¥6,050

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 鹿島出版会
発売年月日 2018/04/18
JAN 9784306073425

エコロジカル・デモクラシー

¥4,510

商品レビュー

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2020/03/09

かつてあった社会的な問題が解決され、世の中がスマートになればなるほど「人間的な繋がり」は希薄になって地域の力は減衰する、というのはなんとも皮肉で、今では逆回しでコミュニティを活性化するアイデアが必要とされるようになった。それでも「生きるか、死ぬか」の物質的な喫緊の問題を解決しよう...

かつてあった社会的な問題が解決され、世の中がスマートになればなるほど「人間的な繋がり」は希薄になって地域の力は減衰する、というのはなんとも皮肉で、今では逆回しでコミュニティを活性化するアイデアが必要とされるようになった。それでも「生きるか、死ぬか」の物質的な喫緊の問題を解決しようとして、それを多くの犠牲の上に達成した先達たちに比べれば、「失われた人間性の回復」のために働く現代人は、相対的にはずいぶん幸福だろうと思う。 ----------(以下、引用)---------- 「人々が居住地の改善に取り組めないのには、アメリカ人が強く信奉している5つの価値観、すなわい移動、富、標準化、技術、専門化が関わっていて、そのどれもが都市生活に副作用をもたらし、自体を悪化させている。移動は私たちを場所から自由にするが、同時に根無し草にもする。私たちは住んでいる場所やそこに暮らす人々に関心を持たなくなる。もし人々が受け入れてくれなければ引っ越しするか、誰とも関わり合わないようないくつかの居所を転々とすればいい。富は私たちのコミュニティないの相互依存から自由にする一方で、たとえばハリウッドの住民が見せた公共への恐怖[public phobia]と阻害を生み出す。標準化は私たちを逸脱の恐れから自由にしながら、非場所性をもたらしている。つまり地域のアイデンティティが失われる。技術は地域内で循環している環境プロセスから私たちを自由にし、そしてそれは生態的な無知を招いている。私たちは、皆で毎日のように分かち合っていた自然の魔法を失っている。たとえば冷暖房機器によって環境が制御されている世界の人々は、自然の力で冷暖房を得ている人々に比して、天候と無縁な日常を過ごす。社会が専門化されるにしたがい、私たちは場所についての全般的な知識の習得や、社会的かつ生態的にきわめて複雑な現象を考える必要から解放された。そして今度は、この自由によって日々の問題を解決できなくなってしまった。都市のデザイン上の問題にも対症療法的で単純な対応しかできなくなり、一人ひとりの置かれる状態がさらに不安定担っていく。こうして私たちは、ファッションとしての環境保護や高い社会的地位をますます追い求めてしまうことになる。 5つの価値観の副作用が及ぼす影響はとても大きい。その影響は表面的には私たちの大切な価値観そのものに複雑に絡み合っていて、とっても対処できないように思われる。だから都市のランドスケープ・デザインはここであげたような問題には無力で、できることは何もない、と降参するのは簡単なことだ。この問題を克服していくには、人々の価値観と行動の変更がどうしても必要になる」 ランドルフ・T. ヘスター (2018), 「エコロジカル・デモクラシー:まちづくりと生態的多様性をつなぐデザイン」, p.20

Posted by ブクログ

2018/07/29

都市を決めている人びとは、どこも同じような都市や地域を次から次へとデザインし続けていて、植生分布、微気象、空気の流動パターン、水循環などを尊重した、地域の固有性を表すデザインは減少する一方。 技術の発達や標準化、専門化によって、環境の制約から自由になった。もはや日常生活のなかで、...

都市を決めている人びとは、どこも同じような都市や地域を次から次へとデザインし続けていて、植生分布、微気象、空気の流動パターン、水循環などを尊重した、地域の固有性を表すデザインは減少する一方。 技術の発達や標準化、専門化によって、環境の制約から自由になった。もはや日常生活のなかで、生態系の相互依存を経験することはない。この自由と豊富さが、私たちをコミュニティの責任からも解放してきた。かつては協働しなければ手にできなかった多くのものが個人でも調達できるようになった。公園、学校、プール、事務、映画館など、公共の領域でのみ提供されたものが、現在では日常的に個人で手にすることができ、市民の関わり合いはますます必然性を失っている。 居心地のよい適度な距離でテーブルを囲んで向かい合うとき、人は積極的に他人の話を聞く 私たちのランドスケープから中心性が消滅しつつある。ビデオが映画館に取って代わるなど。 センターのデザインは皆が運命を共有していることを住民に思い起こさせる もし自分のまちにもセンターがほしいなら、毎日世話をしなければならない 素晴らしいバスケットコートとは?:コートの横に座りながらプレーを見たり、自分の番を待ったり、たむろできる場所がある事。さらに車をいじりながらゲームを見るスペースがあればなおよい。道路を挟んだ交差点の角に焦点があれば完璧。小さい子たちにはメインコートを見ながらプレーできるハーフコートが必要。そこでは年長の子供たちに邪魔されずにバスケットボールができるし、うまいプレーヤーの動きを真似することもできる。バスケットでは、コートがうまく隣り合うことによって、プレーの技術が伝えられる。つまり文化が継承される。都市全体のデザインにも適切な隣接性を作る事が重要。 有毒廃棄物や使用済み核燃料。これらをすべて近隣地区で管理しなけれればならないとしたら、これらの有害なものをこれほど排出し続けるのか想像する必要がある。 ゲシュタルト:人生とは様々な感覚と反応の組み合わせの単なる集積ではなく、経験がそれらを構成してはじめて成立する アリー効果:社会性をもつ動物にとって、密度の不足は、密度の過剰と同じくらい有害(VS 植物:拡散した方が日照と栄養をめぐる競争を緩和するのには有利) 人々の奉仕だけが、近視眼的な貪欲さに対して効き目がある唯一の解毒剤 楽観主義は、エコロジカル・デモクラシーを追求する上で最も大切。

Posted by ブクログ