1,800円以上の注文で送料無料

  • 中古
  • 店舗受取可
  • 書籍
  • 書籍

東北を置き去りにした明治維新 戊辰戦争の謝罪なしに、日本の融和はない

星亮一(著者), 安藤優一郎(著者)

追加する に追加する

定価 ¥1,650

¥605 定価より1,045円(63%)おトク

獲得ポイント5P

在庫わずか ご注文はお早めに

発送時期 1~5日以内に発送

店舗受取サービス対応商品

店舗受取なら1点でも送料無料!

店舗到着予定

5/31(金)~6/5(水)

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 文芸社
発売年月日 2017/12/05
JAN 9784286192383

店舗受取サービス
対応商品

店舗受取なら1点でも送料無料!
さらにお買い物で使えるポイントがたまる

店舗到着予定

5/31(金)~6/5(水)

東北を置き去りにした明治維新

¥605

在庫わずか
ご注文はお早めに

カートに追加するカートにいれる

商品レビュー

4.5

3件のお客様レビュー

レビューを投稿

2022/03/10

題名と対談者の大まかな意見には賛同できたが、その根拠についてはなんだか弱いなという印象。 会津の政治のあり方、薩長のあり方、それについて大雑把だが、書いてあり、興味深かった。 やはり、市井の人間を大切にしないと、それなりの対価を与えないとない、トップにはついていかないよね、ってこ...

題名と対談者の大まかな意見には賛同できたが、その根拠についてはなんだか弱いなという印象。 会津の政治のあり方、薩長のあり方、それについて大雑把だが、書いてあり、興味深かった。 やはり、市井の人間を大切にしないと、それなりの対価を与えないとない、トップにはついていかないよね、ってことが、露骨に現れた結果なのかもしれない。未だに官軍側の人間が支配層にいる日本だが、そのマインドはどこかに行き、過激とまではいかないけど、ナショナリズムだけが残骸として残ってしまっているのかな。戊辰戦争がなければ、逆に幕府が勝っていたら、明治から大正、昭和初期における数々の惨事は起こらなかったのかもしれない。戦後、といえば、大東亜戦争のことを一般的に指すのかもしれないが、戊辰戦争の戦後だって、日本人は意識していかないといけないのかもしれない。でも、勝てば官軍。そんなことは、恐らく多くの人は忘れてしまっているのだろう。

Posted by ブクログ

2020/10/19

幕末に起きた戊辰戦争を含め東北での多くの出来事が現代まで引きずっているとは。 勝てば官軍、あらためて実感する。

Posted by ブクログ

2019/02/22
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

史料に当たっていくと、武士階級と農民や町人たちで全く正反対の動きをするので違和感を覚えることがあります。 自分の感覚では、外敵に攻められたら当然自国を守ろうとすると思っていたのですが 実際はそうではありません。 下関戦争で列強四国の軍人たちを面白がって手伝う者がいたり、戊辰戦争でも薩長サイドの道案内などをしする者がいたりします。 会津や二本松では税金が高くて農民は米の殆どを年貢として収めなくてはならなかった。 薩長に比べて民衆の扱いがうまくいかなかった。 良く言えば真面目で一途だったのですが、それも敗因のひとつというのは確かにそうかもしれないと思います。 容保公は養子の立場であまり強く言えず、重役が役に立たなかったというのは辛い指摘です。 ですが確かに薩長土肥のように藩の意見に異を唱える若手グループというのは出てきません。 農民は重用しないというのが保科正之からの会津藩の考え方であったなら 農民が反乱を起こそうとするのも頷けます。 また、その感覚で言えば会津藩お預かりとなった新選組に対しても 頼らざるを得ないもののネガティブな感情があったのかもしれません。 隊士と藩士での交流や藩主と隊士の交流が描かれた史料はあるものの、 会津藩公式の史料で新選組の名前や活躍が記されたものはほぼ無いように思います。 会津の藩政の資金源として、年貢を取るしか無いというのは大変きつい状況だったことでしょう。 薩長は密貿易や海運業という収入源がありました。 薩摩のように幕府を裏切る密貿易をしていない会津藩はとても正しく潔癖なのですが それが戦に負けた要因のひとつとなると悔しい気持ちになります。 江戸城が無血開城されることになった後、「俺が腹を切る」という人が誰一人いなかったというのも確かにそうです。 現代の感覚から言えば酷い言い草に聞こえるかもしれませんが、 当時たとえば禁門の変の後の長州は家老と参謀10人ほどの首を差し出していることを考えれば それくらいのことをすれば会津戦争を食い止めることができた可能性はゼロではないと思います。 確かに西郷頼母の家族は自刃しているのに一人生き残りますし 経験もないのに白河戦で総督を務めるのも悪手です。 戦闘経験もなければ戦略もわからず時代遅れ、 自分が戦場にたつこともしないのに指揮を取ろうとする ”上の人間”に、この頃の新選組副長土方さんは非常に冷たく当たったと言われていますが、 副長の立場にありながら実戦経験豊富で先陣を切っていた土方さんからしたら、現代で言う老害以外の何者でも無かったのではないでしょうか。 新選組や京都にいた会津藩士は戦いの経験がありましたし、 長州は外国との戦争経験もあります。この差は大きかったのでしょう。 鳥羽伏見に至るまでも真っ正直に街道を進んでしまいますし。 土方さんが仙台で総督を求められたとき、生殺与奪権も与えてくれるなら、と答えて 二本松藩から否と言われて無しになっていますが 厳しくして本当についてきてくれないと勝てるものも勝てませんし、兵が無駄に失われるばかりです。 会津戦争時の籠城戦の準備もそうですが そもそも京都守護職辞任をいろんな人から引き止められ 無碍に出来なかったのも辛いところです。 結局慶喜は逃げて会津がつけを払わされた格好なわけで、 幕府軍も頼りにならない局面が多く、 いくつも『ここがもしこうだったら』という歴史のifは出てきます。 能天気に明治150年のイベントをする前にすべきことはあったと思いますが、 時の政府が謝罪をするとは私にはとても思えません。 薩長の人はもちろん、奥羽越の人も官製の歴史が真実だと思い込み 本当にひどい目に遭った家系は絶え、首相が謝る必要性や理由が無いです。 だからと言ってこのままで良いとするのではなく 明治維新の前の戊辰戦争の検証は必要だと思います。 また、薩長がした反乱テロ以降のことではなく 明治維新に江戸幕府による近代化、横須賀造船所、慶喜の大政奉還なども含めるというのは正しいと思います。 井伊直弼は本来日本の開国を進めた救世主であるというのも同意です。 まずはそこが一歩目なのかもしれないと感じました。

Posted by ブクログ

関連商品

最近チェックした商品