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障害者の安楽死計画とホロコースト ナチスの忘れ去られた犯罪

スザンヌ・E.エヴァンス(著者), 黒田学(訳者), 清水貞夫(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 クリエイツかもがわ
発売年月日 2017/12/01
JAN 9784863422292

障害者の安楽死計画とホロコースト

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商品レビュー

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2020/07/13

 ホロコーストといえばイコールでユダヤ人(のみ)アウシュヴィッツ(のみ)と結び付けられがちだと思うがそれに先立って開始され、主にキリスト教関連から批判が出てヒトラーが公式中止命令が出たあとも14f13作戦、そして「野生化した安楽死作戦」として一貫して続けられた障がい者への強制断種...

 ホロコーストといえばイコールでユダヤ人(のみ)アウシュヴィッツ(のみ)と結び付けられがちだと思うがそれに先立って開始され、主にキリスト教関連から批判が出てヒトラーが公式中止命令が出たあとも14f13作戦、そして「野生化した安楽死作戦」として一貫して続けられた障がい者への強制断種、大量殺戮の側面に描写の重点を当てた本。関連書籍から知っていた(小俣和一郎氏の著書など)もあるが、未だに(本書刊行時2017年)ドイツ政府は障がい者の生存者に補償をしておらずそれは世界的にも社会的包摂に反するとの論旨も貫かれ一読に値する。  感訳者あとがきには相模原市障害者施設大量殺人事件への言及や、麻生太郎氏の「ナチスの手法に学んだらどうか」「いかに動機が正しくても、何百万人も殺しちゃったらやっぱりだめなんだよ」とナチス、ヒトラー擁護姿勢への批判も本書内容と絡めて言及されており、またきょうされんによる日本の障がい者の貧困率の驚くべき高さや政府が福祉予算削減目的で進める「地域化」の美名の本質も看破しており、日本は障がい者権利条約を批准した以上社会的包摂が求められるとしていかにこの問題が今日的、世界的、身近な問題であるかを投げかけている点に好感を持った。これは過ぎ去った過去の話ではなく、障がい者の人権、権利の向上とその保障は現代的な、市民すべてが参画して改善していくべき未だ道半ばの問題なのである。優良推薦図書。

Posted by ブクログ

2020/02/28

ナチス政策下で行われた障害者の断種・安楽死・ホロコーストについて書かれた本である『Forgotten Crimes : the Holocaust and People with Disabilities』(Suzanne E. Evans著)を日本語に訳したもの。 読んでいて...

ナチス政策下で行われた障害者の断種・安楽死・ホロコーストについて書かれた本である『Forgotten Crimes : the Holocaust and People with Disabilities』(Suzanne E. Evans著)を日本語に訳したもの。 読んでいて「やまゆり園」の事件(2016年7月 相模原障害者施設殺傷事件)のことを思い出していたのですが、監訳者あとがきには、まさにこのことが書かれていました。 犯人はヒトラーの考えに感化(と言っていいのでしょうか?)されていたのだそうです。 歴史を学ぶのは繰り返さないため、とはよく言われることではありますが、彼の場合はナチスの「安楽死計画」そのものが犯行の動機となってしまったわけです。 本文に挿入されている写真を見たところ、当時先導を切って指揮系統を握っていた人物というのは(ヴィクター・ブラックにせよフィリップ・ブーラにせよ)、利発そうな顔をして鋭い眼差しの、端的にいうなら「デキる人」という印象を受ける人です。 何でもそうなのですが、こうして研究や、人を動かすことに努力を注いできた人たちが間違った方向に誘導されることほど恐ろしいことはありません。目的を間違った「デキる」人たちというものは物凄い勢いで坂道を転がり落ちていきます。そうして彼らが加担したのが、結局のところ、殺戮だったというわけです。 読み進めるうち、これが過去100年未満に同じ人間のしたことなのか、と改めて思い知らされた感じがしました。 ドイツだけではなく、中央/東ヨーロッパに浸透していた「障害者は罪人」という宗教的考えにも驚かされましたが、未だに数多くの人を殺戮しておきながら裁かれていない人や、数に上がっていない犠牲者のことを考えるとぞっとします。 「障害者は生きていても仕方がない。だから安楽死によって彼らを苦しみから解放してやろう」という大義名分のもと、ナチスがしてきた「T4作戦」(いわゆる安楽死計画)というのは事実上の「(優生学にもとづく)障害者の殺戮」であったわけですが、つい最近にも日本の政治において「安楽死」を掲げた政党がいたことを考えると、どうやら日本も他人事では済まされないように思えてならないのは私だけでしょうか? 考えすぎであることを祈るばかりですが。 昔、日本では障害者を「生まれてはならないもの」として産婆さんが殺していたり、「座敷牢」に障害者を入れて人目から隠すということが行われてきたと言います。 それは優生学とは少し観点がズレるのかもしれませんが、障害者が社会で活躍できるようになった今でも「可哀そう」「(健常者が)助けてあげる」という思想が存在し続け、そのことが障害者にとっては「対等に見られていない」と感じる要因になっていることと、全くの無関係ではないように思います。 つまり、大元のところには「この子たちは普通じゃない」「この子たちは劣っている」という考えあってのことだったのではないでしょうか、ということです。 その考えが極端なものになったとき、「優生学」というものが姿をはっきりと浮かび上がらせてくるのではないでしょうか。 「やまゆり園」で過ごしていた家族を亡くした遺族の方の中に「障害者は生きていたって仕方がないというけれど、そんなことは誰に決められるのか(誰にも決められないでしょう)」ということを仰っている人がおられたと記憶しています。 ナチスの障害者安楽死は「命を選別すること」であり、人間が自分たちには決められるはずもないことを決めた越権行為なのだと思います。

Posted by ブクログ

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