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目に見えない世界を歩く 「全盲」のフィールドワーク 平凡社新書862
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 平凡社 |
発売年月日 | 2017/12/01 |
JAN | 9784582858624 |
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目に見えない世界を歩く
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商品レビュー
5
4件のお客様レビュー
先日読んだ本。タイトルに『「全盲」のフィールドワーク』とある通り、視覚障害のある文化人類学者による著作。前半では自分の半生や盲人史研究について語り、後半では触ることの良さをものすごい勢いで語る。 どちらかというと目が見えない人の日常生活について知りたかったのでそのあたりに関して...
先日読んだ本。タイトルに『「全盲」のフィールドワーク』とある通り、視覚障害のある文化人類学者による著作。前半では自分の半生や盲人史研究について語り、後半では触ることの良さをものすごい勢いで語る。 どちらかというと目が見えない人の日常生活について知りたかったのでそのあたりに関して言うと、著作の中の川柳がだいぶ参考になった。 「目覚めれば ボタンを押して 知る時間」 「色は無視 手触り任せ 服選び」 「自分では 必要ないが 電気点け」 最後のやつはちょっとおおっとなった。 パソコンやスマートフォンの台頭によって点字離れが進んでいる話なども興味深かった。世代や視力を失った時期によって視覚障害者文化に違いが出てきているというのは、あまり考えが及んでいなかった話である。著者は点字に思い入れが深く、点字文化の衰退を惜しんでいるようだ。 しかし、国立民族学博物館がよく面白そうな展示をやっているなと思ったら、こういう方が働いていたのですね。 あと107ページにスッと書いてあった「専業のイタコもいなくなり」という文が地味にショックでした。…もう…いないのか…。
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※このレビューにはネタバレを含みます
幸か不幸か、視覚障害者は便利な視覚を使えない(使わない)ので、職文化の価値に気づくチャンスを手に入れました。ピンチ(視覚を使えない不自由)がチャンス(視覚を使わない自由)をもたらしたと総括できるでしょう。「触常者宣言」に以下のような記述があります。「たとえば、彫刻作品にゆっくりさわってみよう。触覚の特徴は、手と頭を縦横に動かして、点と線、面、立体へと広げていく創造力になる」。(p.81) 「目が見えない」琵琶法師が、「目に見えない」合戦の場面を語る。「目が見える」聴衆は、音と声を「目に見える」画像・映像に変換して、琵琶法師の語りを味わう。つまり『平家物語』とは、聴覚情報と視覚情報を交流・交換させる語りの芸能だったといえます。語り手と聴き手の創造力が交流・交換することにより、『平家物語』は中世社会で大流行しました。 現代は想像力を発揮するまでもなく、色々な「絵」を見ることができます。しかし、視覚は視覚、聴覚は聴覚というように、人間の感覚が分断され、交流・交換の楽しさが失われているのではないでしょうか。「交わる人」としての触常者の歴史は、当事者間でも忘れ去られてしまいます。当事者が触常者の歴史的役割を再確認することも大事です。(p.84) 僕の旅の思い出は「○○で食べた××の味」の記憶で満たされている。各地に足を運び、手と舌で得た情報を身体に刻み付ける。今のところ味覚・触覚を記録する媒体はないが、カメラや録音機のようなデジタル化ができないのが舌触り・手触りのよさかなとも思う。(p.103) 五感といわれるように、人間は多様な感覚を保持しています。見せる講演があるのなら、聴かせる、さわらせる講演があってもいい。視覚以外の感覚を再評価・再認識する姿勢も忘れてはならないでしょう。「聴かせる、さわらせる講演は反近代ではなく、脱近代を志向する」と、僕は自分を鼓舞しています。(p.200) 「これは何だろう」と考え、袋の中の動物フィギュアを手探りした感触は、長く深く身体に記憶されます。手を動かし能動的に獲得した情報は、体験として残るのです。視覚は量なり(より速く、より多く)、触覚は質なり(より深く、より長く)。これは全盲生活30年を経て、無視覚流にたどり着いた僕の素直な心境です。(p.229)
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『わが盲想』のモハメド・オマル・アブディンもそうだったが、著者も同音異義語を巧みに使う。アブディンの場合はそれが単にオヤジギャグであったりするのだが、広瀬の場合それは、「無視角、無資格、無死角」「健常者、見常者」など、造語まじりの同音異義語で新しいものの見方を提示している。また同...
『わが盲想』のモハメド・オマル・アブディンもそうだったが、著者も同音異義語を巧みに使う。アブディンの場合はそれが単にオヤジギャグであったりするのだが、広瀬の場合それは、「無視角、無資格、無死角」「健常者、見常者」など、造語まじりの同音異義語で新しいものの見方を提示している。また同音ではないが、「見常者」に対して「触常者」、「見識」に対して「触識」などの概念を示すことで、視覚中心のマジョリティの文化に対して、そうでない文化が存在すること、そしてそれは見常者も享受する価値のあるものであること訴える。そしてその具体的方策をどのように実践しているかを語る。その語り口は新たな世界を切り開いている者のそれで、読んでいるこちらもわくわくしてくる。
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