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藤原氏 権力中枢の一族 中公新書2464
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2017/12/20 |
JAN | 9784121024640 |
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藤原氏
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3.8
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藤原鎌足・不比等に始まる藤原一族。まさに日本の歴史を動かしてきた一族。 不比等から脈々と続く家系をとてもわかりやすく丁寧に説明してあり、知識が整理できる。 不比等の息子たち四家の分立で時代によって勢力も異なり、いかに政治のトップに立ち、また落ちていったかもよくわかる。 北家が中枢...
藤原鎌足・不比等に始まる藤原一族。まさに日本の歴史を動かしてきた一族。 不比等から脈々と続く家系をとてもわかりやすく丁寧に説明してあり、知識が整理できる。 不比等の息子たち四家の分立で時代によって勢力も異なり、いかに政治のトップに立ち、また落ちていったかもよくわかる。 北家が中枢になってからも、他の式家、南家、京家のあゆみも書かれているのも良い。 藤は他のものに絡みつき脈々と受け継がれてきた。 そして近代まで続くこの藤原氏はこの国の中枢を支えてきていることに気づかされる。 奈良、平安時代だけのの一族ではない。 自分が思っていた以上に大きな一族だった。 この国の政治を考える上で、藤原氏は重要な鍵であることは間違いない。
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藤原鎌足から藤原頼道まで詳細に記載し、中世以降も要所要所述べており、一冊読むと藤原氏の流れがよくわかります。読んでいて思うのは、藤原氏がどれだけ日本の歴史に影響及ぼしている一族だったかということ。絶頂期には外祖父、摂政として天皇をも凌ぐ影響力を持っていました。ただそれでも天皇の代...
藤原鎌足から藤原頼道まで詳細に記載し、中世以降も要所要所述べており、一冊読むと藤原氏の流れがよくわかります。読んでいて思うのは、藤原氏がどれだけ日本の歴史に影響及ぼしている一族だったかということ。絶頂期には外祖父、摂政として天皇をも凌ぐ影響力を持っていました。ただそれでも天皇の代わりにはなれませんでした。それを物語るのが藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)です。天皇に対し反乱を起こすも呆気なく負けます。その当時貴族としては圧倒的な権力を持っていた藤原仲麻呂が、天皇を前にするとどうしようもなく南家が衰退するまで後世に影響を与えた出来事は、その後の藤原氏に多大な影響を与え、天皇に逆らうのではなく外戚関係を築くことで天皇を取り込む方向へ進んでいきます。藤原氏と聞くとやはり平安時代を思い浮かべてしまいますが、中世以降も摂関家として貴族の中心ではあり続け、武士としても足利氏など輩出し歴史の主役であり続けた一族と言えるでしょう。近年ですと昭和初期の総理近衛文麿や平成の総理細川護熙も藤原氏にルーツがあります。また藤原氏族は果てしなく裾野を広げており『藤原氏族一覧』には3452の苗字が記載されてるそうです。私自身、苗字に『藤』が付くのでもしかしたら先祖を辿ると藤原氏に行きつかないかなと思いを馳せてしまいます。
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副題は「権力中枢の一族」。 藤原家が日本の権力の中枢にいたことは疑いがない。 藤原家の始祖、鎌足と天智天皇の二人三脚から、鎌足の息子 不比等と持統天皇の二人三脚へ。 梅原猛と上山春平が注目するまで、不比等の存在はそれほど大きなものとは思われていなかった。 しかし、二人の業績により...
副題は「権力中枢の一族」。 藤原家が日本の権力の中枢にいたことは疑いがない。 藤原家の始祖、鎌足と天智天皇の二人三脚から、鎌足の息子 不比等と持統天皇の二人三脚へ。 梅原猛と上山春平が注目するまで、不比等の存在はそれほど大きなものとは思われていなかった。 しかし、二人の業績により、現在、藤原家1300年の礎を築いたのが、素性もあまり明らかではない不比等であることが明らかとなった。 徳川幕府が260年だから、日本史上、天皇家に次ぐ長期繁栄を誇った一族だと言える。 そして、不比等が「日本書紀」と「大宝律令」の主導者だとすると、日本と言う国家の礎を築いたのも不比等だと言うことになる。 そして、日本書紀が天皇制のイデオロギーを確立したことを考えると、天皇制の礎を作ったのも不比等だっと言える。 (不比等は日本書紀を完成させた年に死んでいる) 恐るべき男だ。 不比等が持統天皇に認められたのは、持統天皇が皇位継承を望んだ「息子草壁皇子(皇位継承前に死んでしまう)—>孫 文武天皇」という皇位継承をやり通した事だ。 それを正当化させるイデオロギー確立の企てが「日本書紀」の編集だった。 その難しい皇位継承を、呪術的にサポートしたのが柿本人麻呂だった。 こうして、また読書は止まるところを知らず、白川静の「初期万葉論」の白眉、阿騎野冬猟歌の分析をまたしても読んでしまうことになる。 不比等の四人の息子たちが藤原四家を作るが、その内の北家から道長が出て、全盛を迎える。 藤原氏の絶頂はこの時だが、藤原氏はその後も連綿として権力の中枢に居続けていたことが本書によって分かる。 藤原氏は摂関家として朝廷権力の中枢で政治を担い続けたのだ。 その権力維持の戦略は、ハプスプルク家と同じ「DNA戦略」だ。 天皇家に、一族の女性を送り込み、藤原氏の「DNA」を持った皇子を設けさせ、それを天皇にする。一番力を持つのは、天皇ではなく、天皇の母、でもなく、天皇を産んだ藤原家の娘の父親(外戚)だ。 「ジージ戦略」と言っても良い。 道長の娘彰子は一条天皇に嫁いだときまだ幼かった。 一条天皇にはその時、年上の姉さん女房(中宮)がいた。 道長の兄である道隆の娘 定子だ。 定子のサロンには、才女 清少納言がいて、華やかな雰囲気を作り出していた。 一条天皇の足が、定子のサロンに向かうことはやむを得ない。 道長は、その対抗策として、宮廷の大ベストセラーを執筆中の紫式部をリクルートして、彰子のサロンのセンターに据える。 一条天皇は絶賛連載中の「源氏物語」の話が聞きたくて、彰子のサロンを訪れるようになる。 こうして、次の天皇、後一条天皇が、更にその次の天皇、後朱雀天皇が生まれる。 そのそれぞれに、道長は自分の娘たちを入内させる。 何と用意周到。 しかし、DNA戦略を実行に移すためには、多くの美貌な娘を持つ必要があった。 その点は、光源氏も苦労したが、光のモデルとも言われた道長は軽々とその必要条件をを満たしてみせる。 「DNA戦略」と言ったが、「源氏物語」を読むと、生物学的なDNAには、こだわっていないことが分かる。その意味では、「幻想のDNA戦略」と言うべきかもしれない。 藤原氏の作り上げた幻想の「DNA戦略」を、レヴィ•ストロースの婚姻理論を使って、構造学的に分析したのが社会学者の上野千鶴子だ。 「日本王権論」と言う対談で上野が述べた「不婚の皇女」論は、日本史では理解できなかった斎宮存在の謎をみごとに解き明かして驚かしてくれる。 こうして、読書は次々と増植して行く。 その後、時代は武家の時代に移行する。 小室直樹モデルによると、天皇が無謬な神として君臨した「予定説」の時代が終焉し、正しい政治を行う者が日本を統治すべきだとする「因果律」の時代に入ったと言うことだ。 この時代の大転換にも、藤原氏は生き残り、天皇家の政治の中枢を担い続ける。 あまり、藤原の名を聞かなくなるのは、姓の藤原を名乗らなくなり、近衛、一条、九条、鷹司、二条(5摂家)を名乗るようになるからだ。 これらは皆、藤原氏だ。 そして、江戸時代も生き残るのだ。 明治維新で、藤原氏は家族となる。 首相を務めた近衛文麿は五摂家筆頭の近衛家出身だが、元は藤原氏なのだ。 著者とは大学の教養時代同じクラスだった。 「愛読書は?」と問われて「群書類従」と答えて、クラスメートを唖然とさせていた。 塙保己一の編集した「群書類従」は、正編530巻、続編1150巻、全1680巻にも及ぶ巨大文書群なのだから。 18歳にして、将来の姿を明確に見据えていたのだろう。 。
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