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室町幕府将軍列伝
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室町幕府将軍列伝

榎原雅治(著者), 清水克行(著者)

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室町幕府将軍列伝

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 戎光祥出版
発売年月日 2017/09/28
JAN 9784864032476

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商品レビュー

4.3

5件のお客様レビュー

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2021/12/23
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※このレビューにはネタバレを含みます

新装版が出たのだが従来版について 室町時代の将軍や将軍に成れなかった人大集合 世の中、何時までも同じようだと安閑としては イケない、コロナ禍で国民の生活(身近な人も) は大きく変わった(敗戦や日本沈没で一変する) 室町将軍は不安定の中の権威だが、存外アチコ チ飛び回る 尊氏は国内半分は軍事行動している(移動距離) 義詮だって鎌倉からスタートし近江・播磨まで 逃亡し、義満は数多の行事とかで伊勢神宮や兵 庫(遣明船)に多々出かけている 伊勢神宮は義持・義教・義政も出かけているし 軍事行動では義尚・義植・義澄・義晴・義輝・ 義昭も京都を離れているし、義栄となると京都 に入っていないのではなかろか 義教富士観光ツアーは信長も真似した(´・ω・`)

Posted by ブクログ

2020/10/05

義教の旅エピソードや義政の義教からの影響など、あまり知らない事項が多くて面白かった。義晴以降の展開についてはまだ理解が届いていないので、また後日読み返してもいいかもしれない。

Posted by ブクログ

2019/07/07

複数の日本中世史家たちによる歴代室町幕府将軍の列伝。15人の室町幕府将軍たちと「将軍になれなかった」足利直義、足利義嗣、足利義視などの人物も取り上げられている。とくに印象に残った章を挙げていこう。 足利義満 (担当:大田壮一郎) 義満は皇位簒奪を狙ったという説(今谷明)や、義満...

複数の日本中世史家たちによる歴代室町幕府将軍の列伝。15人の室町幕府将軍たちと「将軍になれなかった」足利直義、足利義嗣、足利義視などの人物も取り上げられている。とくに印象に残った章を挙げていこう。 足利義満 (担当:大田壮一郎) 義満は皇位簒奪を狙ったという説(今谷明)や、義満には武家が公家の上に立つべきという志向が存在していたとする公武対立史観(佐藤進一)などの一般的なイメージがあるが、近年の研究では、義満による「皇位簒奪」説は徹底的に否定され、公武対立的な歴史像も根本的に見直される傾向があるとしている。(P.79) 短期間の間に左大臣にまで官位を駆け上がった義満は朝儀の厳正執行に意欲的であった。その背景として、室町幕府が擁立した後光厳天皇は三種の神器や、践祚を認める上皇が不在という状況で即位しており、「正統性」という点で疑問符がついていた。そのために朝廷は通常以上に「朝廷らしく」あることが求められており、朝廷の主催者である天皇の正統性を高めるのが目的であったとする。筆者によれば、「義満の行動は天皇家の権威を回復させるものであっても失墜させるものではない。」(P.93) としている。 足利義政 (担当:丸山裕之) 政治を顧みずに文弱に溺れた、「日本の徽宗」とまで呼称されている足利義政だが、現在の歴史学では、応仁・文明の乱以前の義政はむしろ意欲的に政治を行っており、それが却って重臣たちとの軋轢(守護大名の後継問題への積極的な介入など)を生み、応仁の乱の原因となった。応仁の乱後も権力を手放さず、最後まで義政が権力志向を捨てなかったようだ。慈照寺(銀閣寺)の造営も「北山殿」として降臨した足利義満の姿を再現しようとしたのではないかという見解も出されている。例えば、義政が発行した文書は800通以上あり、これは尊氏や義詮に次ぎ、義満に匹敵する量である。それだけ政務に熱心だったといえるだろう。守護大名への介入は父である足利義教を模範としてものであり、義政の場合はその優柔不断な性格から悉く失敗したという指摘がおもしろかった。 足利義尚 (担当:石原比伊呂) この章では、足利義尚の任右大将拝賀延期問題を題材とした室町幕府の財政問題について書かれている。当時、将軍家の財政は段銭と守護出銭に依存していた。段銭、守護出銭は守護大名の協力がないと集金できず、応仁の乱後に守護大名は徴税に消極的であった。そのため財政不足により義尚は任右大将拝賀を延期せざるを得なかった。義尚の六角氏征伐については、近江に出兵することで将軍権威の復興を狙ったデモンストレーションの面もあったとしている。 足利義晴 (担当:西島太郎) 息子の「剣豪将軍」足利義輝、「お手紙将軍」足利義昭に比べてはるかに知名度が低く、地味な印象がある足利義晴だが、その将軍在位は25年と、4代義持の28年、3代義満の26年に次ぐ長期政権であった。長期政権の理由として義晴を支えた大名勢力に加えて、将軍直臣で構成される奉公衆の存在があったとする。 足利義昭 (神田千里) 「織田信長の傀儡」に過ぎなかったとされる足利義昭だが、近年の歴史学の研究によれば、足利義昭の幕府は信長から独立的であり、信長はこれを補完する立場にいたとしている(久野雅司らの研究)。 信長の「天下布武」は「日本諸大名を武力で従わせる」と一般では思われているが、実は「五畿内に将軍の支配を確立する」ことを意味したものであり、「天下」という言葉はしばしば五畿内を指す言葉として用いられて、この領域が将軍の支配すべき領域と見なされていたようだ。(P.406) 京都追放以降では、将軍としての権威を義昭は完全に失墜していると思っていたが、本能寺の変後も将軍の威光は健全であった。この時、豊臣秀吉は義昭の帰京を承諾、徳川家康は義昭を迎える旨があると伝えていたこと、柴田勝家は毛利氏と組んで義昭を担ぎ出すことを画策していた。 他にも足利義稙・足利義澄を通した、畿内の室町後期の政治史が勉強になった。また足利義視が個人的には兄の義政との仲は良好だったという話が面白かった。章ごとに出来のばらつきはあったり、足利義満の章と足利義嗣を扱ったコラムで義満像に齟齬があったりするが、室町幕府将軍から見た室町幕府史としておすすめである。機会があれば再読したい。 評点 8点 / 10点

Posted by ブクログ

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