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反教養の理論 大学改革の錯誤 叢書・ウニベルシタス1061
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反教養の理論 大学改革の錯誤 叢書・ウニベルシタス1061

コンラート・パウル・リースマン(著者), 斎藤成夫(訳者)

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反教養の理論 大学改革の錯誤 叢書・ウニベルシタス1061

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 法政大学出版局
発売年月日 2017/07/01
JAN 9784588010613

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反教養の理論

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商品レビュー

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2018/10/09

「この種の学術書としては異例のベストセラー」らしいが、どういう人に売れているのだろうか。べつだん新しいことが書いてあるようには思えなかったし、教養なんてくだらないと思っている人に対して説得力があるともあまり思えない。どうも、教育学での議論などはあまり踏まえられてないような気がする...

「この種の学術書としては異例のベストセラー」らしいが、どういう人に売れているのだろうか。べつだん新しいことが書いてあるようには思えなかったし、教養なんてくだらないと思っている人に対して説得力があるともあまり思えない。どうも、教育学での議論などはあまり踏まえられてないような気がする。

Posted by ブクログ

2018/09/09

本書の分析対象は、ドイツ・オーストリアを中心としたヨーロッパの大学である。アメリカや日本のには直接ふれていない。しかし一読すれば、大学教育の問題点は、国を問わず、多くの部分で共通していることがわかる。日本と異なる点は、本書のように批評のベースとなる気概・精神、つまり「時代を超えて...

本書の分析対象は、ドイツ・オーストリアを中心としたヨーロッパの大学である。アメリカや日本のには直接ふれていない。しかし一読すれば、大学教育の問題点は、国を問わず、多くの部分で共通していることがわかる。日本と異なる点は、本書のように批評のベースとなる気概・精神、つまり「時代を超えて妥当し続ける普遍的な教養の理念、すなわち、知識の修得を通じて人間になおも潜在する多様な可能性を開花させながら、ここの時代に制約された人間のありようを超えた新たな人間性のかたちを創出し続けるという、そうした本来的な今日のあり方に対する深い畏敬の念」(p.200)が、表に出てこないものの、著者のような哲学者に確かに継承されていることだろう。 本書の主題は、現代社会でなされている「知とのかかわりが徹頭徹尾、教養の理念から隔絶」している点から「反教養」とつけられている。教養理念の中心から離れた距離が、私たちが持つ違和感につながっている気がしている。ランキングや外部資金調達のプロセスの功罪の指摘も厳しい。そうした「壮大な仮想現実創出のための精神的・物理的浪費は無責任な規模にまで達し」、「ポチョムキンの村」(p.88)のようだとも述べている。職業教育を優先課題とする方向づけにも警鐘を鳴らしており、大学を「産業よりの実践試行的な短期学習の提供者」や「専門大学」(p.95)となることを著者は危惧している。単位制度・学修量・修学時間といった教育の管理ツールを、マルクスの労働価値説と評している点はわかりやすい。教育計画経済の一機能を担っているのが大学といえよう。知識社会の中の大学は、産業化のイデオロギーに影響を受けた、様々な効率的とされるシステムやツールを採り入れ、「反教養」を進めている部分もあることがわかった。著者による処方箋は示されていない。物事を批判的に相対化し得る普遍性を学徒が身に付けるには、旧来の大学を参照してある意味復古的に運用することなのだろうか。ある程度のニーズがあり事業として成立し続けるかどうかはわからない。

Posted by ブクログ

2017/11/30
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※このレビューにはネタバレを含みます

 知識とは情報以上のものである。知識は大量のデータから情報として価値あるものを抽出するのを可能にするだけでなく、そもそも知識とは世界洞察の一つの形式、認識、理解、把握である。行動にとって重要なパースペクティブに意味を置く情報とは対照的に、知識は一義的に目的指向的なものではない。知識は多くを許容し、その知識が不要かどうかはその算出あるいは採用の瞬間に決まるのではない。行動的パースペクティヴに関するデータの解釈を提示する情報とは対照的に、知識はデータの因果的連関と内的一貫性に関する解釈と言い表される。(p.23)  古代の理想と人文主義構想に依拠した教育は、まず第一に、おのおのを成長した個人、共同体と文化の自覚的な一員へと導く、身体、精神と魂、それに才能と素質の形成・発展、人間の自己形成という綱領とみなされてきた。と同時に教育は、人間を野蛮から文明、未熟から自律へと導く唯一の可能性ともみなされた。その基準と表現は、偶然性の原理や実際的有用性の要請にはよらない、範例的内容との取り組みであった。(p.45)  今日の反教養とは、知的欠損でも、情報不足でも、認知能力の欠如でもなくーこうしたことは相変わらず存在するがー、理解しようという意欲の断念んである。今日知識が話題になる時、それはつねに理解以外の何かに関することである。かつて精神科学的活動の基盤そのものだった理解の理念は、せいぜい寛容さの表現としての他者の理解という、政治的に適切な言い回しの中で生き長らえるしかない。それ以外では自然・人間の統御を容易にする技術の開発、あるいは実際に検討されていることと関係がなくなる一方の指数の創出が問題となるときだけである。(p.61)

Posted by ブクログ

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