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果報者ササル ある田舎医者の物語
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果報者ササル ある田舎医者の物語

ジョン・バージャー(著者), ジャン・モア(著者), 村松潔(訳者)

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果報者ササル ある田舎医者の物語

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 みすず書房
発売年月日 2016/11/01
JAN 9784622085522

果報者ササル

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商品レビュー

4.3

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2024/05/05

イングランドの僻村の医師ササルの献身的な医療活動がジョン・バージャーの冷徹な文章とジャン・モアの陰鬱な白黒写真で描かれ、ササルの医師としての優れた技量と村民との信頼関係が六つのエピソードでを添えて伝えられる。 倒木の下敷きになった木樵、恋のストレスで喘息に止む女性、瀕死の妻を見守...

イングランドの僻村の医師ササルの献身的な医療活動がジョン・バージャーの冷徹な文章とジャン・モアの陰鬱な白黒写真で描かれ、ササルの医師としての優れた技量と村民との信頼関係が六つのエピソードでを添えて伝えられる。 倒木の下敷きになった木樵、恋のストレスで喘息に止む女性、瀕死の妻を見守る老夫など、患者とその家族や村民に真摯に向き合い彼等の心的状況に寄り添い受け入れる。「心や肉体から悪い部分をくり抜く」意味の癒すとはササルのような医療行為なのかも知れない。 バージャーはササルの心の深部まで探り微細に分析し饒舌に語るが、その内容はササルの認識を超えたバージャーの願望的バイアスで濾されたもののように聞こえるのが少し気になった。 「人間が置かれている条件の本質的な悲劇は、知らないということ、わたしたちが何者か、なぜ存在しているのかを―確かなかたちでは―知らないということにある。しかし、だからといってわたしが宗教に向かうことはない。宗教はその答えを与えてくれないからだ」 ‘The essential tragedy of the human situation is not knowing. Not knowing what we are or why we are – for certain. But this doesn’t lead me to religion. Religion doesn’t answer it.’ 医師が患者の病状になんらかの名前を与えると、患者が度外れなくらい安心するのはそのためである。病名は患者にとってたいして意味がないかもしれないし、それが何を意味するのか彼らはまったく理解していないかもしれないが、名前が与えられたことで、 病気は彼らから切り離された存在になる。そうすれば、患者はそれと闘ったり、それについて愚痴 をこぼしたりできるようになる。病気が認知されることは、病気が定義され、限定され、個人的なものでなくなることは、患者がもっと強くなれることを意味する。That is why patients are inordinately relieved when doctors give their complaint a name. The name may mean very little to them; they may understand nothing of what it signifies; but because it has a name, it has an independent existence from them. They can now struggle or complain against it. To have a complaint recognized, that is to say defined, limited and depersonalized, is to be made stronger.

Posted by ブクログ

2024/03/31

前向きな人生訓、と受け取りました。このフレーズを読んで“ご冗談でしょう、ファインマンさん”の次の一節を思い出した。 「カーゴ・カルトサイエンス(積み荷信仰式科学)」と呼びたいと思っているえせ科学の例なのです。南洋の島の住民の中には積み荷信仰ともいえるものがある。」 「一般に、常...

前向きな人生訓、と受け取りました。このフレーズを読んで“ご冗談でしょう、ファインマンさん”の次の一節を思い出した。 「カーゴ・カルトサイエンス(積み荷信仰式科学)」と呼びたいと思っているえせ科学の例なのです。南洋の島の住民の中には積み荷信仰ともいえるものがある。」 「一般に、常識は実際的だと考えられている。だが、それが実際的なのは短期的に見た場合に限られる。自分に日々の糧を与えてくれる手に噛みつくのはばかげたことだ、と常識は言う。しかし、それがばかげたことに見えるのは、もっとずっといい条件で日々の糧が得られるかもしれないことに気づくまでに過ぎない。長期的に見れば、常識は受動的である。」

Posted by ブクログ

2021/09/30

ササル医師が素晴らしい人だということは、とても良く伝わりました。 ただ著者が患者と医師の関係性について、友愛というキーワードを用いて書いている部分があるのですが、そのワードでは100%カバーしきれない部分があるのではないかなと思います。

Posted by ブクログ

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