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「日本人」の心の深みへ 「縄文的なもの」と「弥生的なもの」を巡る旅
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「日本人」の心の深みへ 「縄文的なもの」と「弥生的なもの」を巡る旅

松本憲郎(著者)

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「日本人」の心の深みへ 「縄文的なもの」と「弥生的なもの」を巡る旅

定価 ¥2,640

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新曜社
発売年月日 2016/09/01
JAN 9784788514904

「日本人」の心の深みへ

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2016/10/09

書店でたまたま手に取り、下記《帯コピー》にあった以下の文に惹かれ読み始めてみました。 《帯コピー》 『「空気」を読み、和を乱さないように振る舞いながら、自分らしく生きたいと悲鳴をあげている私がいる。この心の葛藤はどこからくるのか』 日本の古典研究、特に神話研究や民俗学を調べて...

書店でたまたま手に取り、下記《帯コピー》にあった以下の文に惹かれ読み始めてみました。 《帯コピー》 『「空気」を読み、和を乱さないように振る舞いながら、自分らしく生きたいと悲鳴をあげている私がいる。この心の葛藤はどこからくるのか』 日本の古典研究、特に神話研究や民俗学を調べていらっしゃる方にはある程度お馴染みなのかもしれませんが、日本人の縄文的なこころ(心性)を、アイヌ民族や南西諸島の民に今も残る伝承、風俗、神話を通じて読み解くというのが、梅原猛を始めとして続けられているというのを初めて知りました。そして本州、四国、九州がそこから、稲作文化の浸透からか、弥生的なこころを育むようになり、これまでの縄文的生活とは異質化することで、日本人のこころには、縄文的なものと弥生的なものが現れるようになったのではないか、とのこと。 我々が縄文的なこころを受け入れるということは、神が宿る自然やもの(ナイフや皿、着物などなど全て)を敬い、ひいてはそれらが現れる神話や習俗全般を受け入れることになる。いや、むしろそれらに対して不敬的な事をしてはいけないのだという畏れをリミッターとして持つことになる。 かたや弥生文化や西洋文化では、自我が自分や世界の全てを捉えられるといった解釈をしていくようになり、心性も一面的なものとして捉えられやすい。従ってそうならないリミッターとして、苦難や戒律といったものを求めるようになる。 ここでリミッターとして、今の自分はどちらを持てばよいか、都度立ち止りそして選べれば、われわれのこころはより安定を得るのではないか。すなわち弥生的なこころ(集団としての絆重視)と、縄文的なこころ(敵わないもの(神、先祖など)の受け入れ。ここでは他者と異なる事が尊ばれる個者尊重)の両面性の認識と受け入れが必要ではないか。 ただし両面を受け入れられるようになった時にはもはや、資本蓄積を主とした経済的充足感はより求めなくなるのかもしれない。ただそれが幸福追求の結果であるならば、それでやはり良いはずなのではないか。 筆者の論をそのように解釈しました。とても示唆に富む本でした。

Posted by ブクログ

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