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文学の読み方 星海社新書94
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 星海社 |
発売年月日 | 2016/09/01 |
JAN | 9784061386006 |
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商品レビュー
3.6
9件のお客様レビュー
著者は、又吉直樹の『火花』が芥川賞を受賞したことに対して、和田アキ子が「文学だとは思えない」と評したことに注目して、文学の「文学性」はいったいどこに存在しているのかという問いを提起します。そのうえで、近代日本文学史をさかのぼり、「文学とは、人の心を描くものである」とか「文学とは、...
著者は、又吉直樹の『火花』が芥川賞を受賞したことに対して、和田アキ子が「文学だとは思えない」と評したことに注目して、文学の「文学性」はいったいどこに存在しているのかという問いを提起します。そのうえで、近代日本文学史をさかのぼり、「文学とは、人の心を描くものである」とか「文学とは、ありのままの現実を描くものである」といった理解がどのように形成され、変容していったのかということをたどっていきます。 著者は、「文学とは、人の心を描くものである」とか「文学とは、ありのままの現実を描くものである」といった理解は「錯覚」であるといいます。この二つの「錯覚」は、たがいに相容れない内容をもちながらも、こうした「錯覚」をめぐって近代以降の日本の文学が書かれつづけてきたことが明らかにされます。 こうした見かたは、現代の文学研究においてしばしば語られていますが、本書では村上龍の芥川賞受賞作である『限りなく透明に近いブルー』と村上春樹の『ノルウェイの森』の考察を通して、「文学とは、現実を描くものである」という「錯覚」が虚構にすぎないことが露見し、そのことが現代の文学シーンにまで影響していると論じています。とりわけ著者は、ライトノベルを執筆する「方法」をあけすけに語りながら、同時に「現実」がえがかれることを希求した大塚英志と、そうした「リアリズム」を解体して「ゲーム的リアリズム」を提唱した東浩紀の対立にも言及しています。 ただ、近代以降の日本文学史の形成過程については、大塚も彼自身の問題関心にしたがった考察をおこなっており、本書の議論がそうした大塚の見かたとどのような関係にあるのかということが、直接的には語られていないことにもどかしさをおぼえました。
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帯の惹句は『文学は、「現実」も「人の心」も描けない。』というもの。 1974年生まれのさやわかさんが、定義をはっきりとさせず曖昧なまま始まってしまった明治以降の『日本文学』様のメッキをポロポロと剥がれ落とす。 よく『人間が描けてない』とか『現実が描けてない』とか言いますよね。 『...
帯の惹句は『文学は、「現実」も「人の心」も描けない。』というもの。 1974年生まれのさやわかさんが、定義をはっきりとさせず曖昧なまま始まってしまった明治以降の『日本文学』様のメッキをポロポロと剥がれ落とす。 よく『人間が描けてない』とか『現実が描けてない』とか言いますよね。 『人間や現実を描く』なんて、そんなこと単なる「言葉」でできるかどうか。 『描けている』と思ってもそれは錯覚にすぎない、とこの本は言い切ります。 その上で私たち(私)は『文学』とどう付き合っていくか。 私には難しく苦労して読んだのですが読んでよかったと思えました。
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要は、小説は現実を描いていないし、そう感じるのは錯覚である、ということ。これは、現在の国語教育にも通じている。誰の作品が重要な文学として教材になるかという問題も、その時代によって作り出された象徴でしかないことがあり得るから、ただ「鷗外が消えた。漱石が消えた」と騒ぐのは当たらない批...
要は、小説は現実を描いていないし、そう感じるのは錯覚である、ということ。これは、現在の国語教育にも通じている。誰の作品が重要な文学として教材になるかという問題も、その時代によって作り出された象徴でしかないことがあり得るから、ただ「鷗外が消えた。漱石が消えた」と騒ぐのは当たらない批判であるということだろう。(ちなみに、石原千秋は、鷗外も漱石も消えておらず、メディアが一部のみ切り取って騒いでいるだけ、と言っていた。)そして、従来の国語の授業では、小説からその時代やあるいは作者の生きていた時代や歴史がわかると考えていること(これは歴史研究者が文学を扱う手法)、また、小説から作者の思い、つまり、なぜこの作品を書いたと思うかという答えがわかると考えていること、これらも大きな錯覚であり、この本の内容はそうした国語教育のあり方に通じている。 この本の中に挙げられる多くの引用がとても役に立つ。こういう資料を調べる作業は本当に大変だと思う。ありがたい。
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