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唐牛伝 敗者の戦後漂流
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唐牛伝 敗者の戦後漂流

佐野眞一(著者)

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唐牛伝 敗者の戦後漂流

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 小学館
発売年月日 2016/08/01
JAN 9784093897679

唐牛伝

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商品レビュー

3.7

8件のお客様レビュー

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2024/07/12

著者、佐野眞一さん、ウィキペディアによると、 ---引用開始 佐野 眞一(さの しんいち、1947年(昭和22年)1月29日 - 2022年(令和4年)9月26日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。東京都葛飾区出身。 ---引用終了 で、本作の内容は、次の...

著者、佐野眞一さん、ウィキペディアによると、 ---引用開始 佐野 眞一(さの しんいち、1947年(昭和22年)1月29日 - 2022年(令和4年)9月26日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。東京都葛飾区出身。 ---引用終了 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 革命なんて、しゃらくせえ! 「昭和の妖怪」岸信介と対峙し、 「聖女」樺美智子の十字架を背負い、 「三代目山口組組長」田岡一雄と 「最後の黒幕」田中清玄の寵愛を受け、 「思想界の巨人」吉本隆明と共闘し、 「不随の病院王」徳田虎雄の参謀になった 全学連元委員長、47年の軌跡。 ノンフィクション作家・佐野眞一が北は紋別、南は沖縄まで足を運び、1984年に物故した60年安保のカリスマの心奥を描く。 「唐牛健太郎を書くことは私自身の過去を見つめ直す骨がらみの仕事だった」――著者3年ぶりの本格評伝 ---引用終了 唐牛健太郎さんのことは、最近知りました。 年齢的には、1937年生まれとのことで、私の母と同年生まれになります。 日本の学生運動家で、1960年安保闘争時の全学連委員長になります。 47歳という若さで病死されています。 それから、安保闘争ですが、安保闘争というのは2度あったようです。 まあ、何となくは分かっていたのですが、ちょっとまとめておきましょう。 第1回 1959~1960年 第2回 1970年 私は1961年生まれなので、第2回の安保闘争をテレビで見た記憶はあります。 が、当時は小学生でしたので、背景はほとんど分かっていませんでした。 最後に、第1回の安保闘争関連人物の生年没年を見ておきます。 岸信介(1896~1987) 唐牛健太郎(1937~1984) 樺美智子(1937~1960)

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2024/06/21

安保闘争の真っ只中 この世に生を受けた者はかろうじて年金受給にありつけており、 それなりに暮らし 政治の腐敗に憤っても真剣さはない。 度胸も知恵も 同輩も持たず 不毛地帯にどっプリ浸かっている。 野次馬根性とでばがめ意識は持ち合わせ 私達が真実 形はどうであれ、米傘下に胡座を掻...

安保闘争の真っ只中 この世に生を受けた者はかろうじて年金受給にありつけており、 それなりに暮らし 政治の腐敗に憤っても真剣さはない。 度胸も知恵も 同輩も持たず 不毛地帯にどっプリ浸かっている。 野次馬根性とでばがめ意識は持ち合わせ 私達が真実 形はどうであれ、米傘下に胡座を掻いている。 ひとつにならずセクト争いに明け暮れ(内ゲハ)悲劇を生んでも未来は生まないのは確かだ。 日がな一日 読書し 拙い字面で他人の目を汚しているのも真実

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2023/08/05

唐牛健太郎は、1937年2月に生まれ1984年3月に癌のために亡くなっている。1960年安保闘争を前に学生運動が盛んだった1958年に北大全学中央委員会委員長に就任すると、5月には全学連中央執行委員に就任している。さらに翌年の1959年6月には全学連委員長に就任しているが、当時の...

唐牛健太郎は、1937年2月に生まれ1984年3月に癌のために亡くなっている。1960年安保闘争を前に学生運動が盛んだった1958年に北大全学中央委員会委員長に就任すると、5月には全学連中央執行委員に就任している。さらに翌年の1959年6月には全学連委員長に就任しているが、当時の全学連委員長というのは、運動にかかわっている学生ばかりではなく、全国的に一般の人からも注目される、ある種の「スター」でもあったようだ。1960年4月26日の、国会突入を謀ったデモを指揮して逮捕されるが、この事件は、唐牛の名前を更に有名にする。その後、学生運動内部の分裂等により、1961年7月に全学連委員長を辞任、更に1962年5月には学生運動の団体から脱退し、運動から身をひく。1958年に北大委員長に就任してから、唐牛が運動に関わったのは、わずか4年のことである。 本書は、唐牛健太郎についての評伝である。筆者の佐野眞一は、唐牛の生い立ちから、学生運動から身をひいた後の活動、そして、癌を患い亡くなるまでの、すなわち唐牛健太郎の誕生から死までを、関係者へのインタビューや資料の読み込み等を通じて、丁寧に再現している。 唐牛健太郎は学生運動から身を引いた後、右翼大物と交わったり、ヨットスクール経営、居酒屋店主、漁師などと職を変え、日本中を漂流している。60年安保闘争の学生運動組織の幹部たちの多くは、その後、社会に戻り高度成長期を享受し、世に出て活躍した人たちも多い。一方で唐牛健太郎は、何者でもなく死んでいく。それが何故だったのかを探るのが本書を書いた佐野眞一の意図であった。 本書の最後の部分に佐野真一は記している。 【引用】 唐牛健太郎は、全学連仲間の島成郎や青木昌彦らがそれぞれの分野で目覚ましい業績をあげたのとは対照的に、「長」と名の付く職に就くことを拒み、無名の市井人として一生を終えた。 だが、それこそが唐牛が生涯をかけて貫いた無言の矜持ではなかったか。庶子として生まれた唐牛は、安保闘争が終わったとき、常民として生き、常民として死のうと覚悟した。それは彼の47年の軌跡にくっきりと刻まれている。 【引用終わり】 すなわち、全学連の「トップ/長」として、多くの学生を率いて戦った、すなわち、多くの学生の人生に影響を与えた彼は、「トップ/長」を退いた後、二度とそのような立場に就かないことを決意し、それを生涯守った、と佐野眞一は言っているのだと理解した。私は1960年安保闘争を知らない世代であり実感はわかないが、佐野眞一の世代の人たちにとっては、それだけのものだと考えることが不自然ではないほどの大きな出来事だったのであろう。

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