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平田篤胤 交響する死者・生者・神々 平凡社新書819
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平田篤胤 交響する死者・生者・神々 平凡社新書819

吉田麻子(著者)

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平田篤胤 交響する死者・生者・神々 平凡社新書819

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 平凡社
発売年月日 2016/07/01
JAN 9784582858198

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平田篤胤

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商品レビュー

4.5

2件のお客様レビュー

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2019/01/04

皇国史観の元となったイメージが強い平田篤胤の思想を、その生涯を著作とともに読みやすく解説。儒教など外来事物の蔑視や日本神話の都合のいい切り張り、幽冥界の存在・気吹舎の由来となった笛や天狗小僧との交流にまつわるオカルト的な部分など面が目立つものの、古代の神話を捉えなおしたその真意は...

皇国史観の元となったイメージが強い平田篤胤の思想を、その生涯を著作とともに読みやすく解説。儒教など外来事物の蔑視や日本神話の都合のいい切り張り、幽冥界の存在・気吹舎の由来となった笛や天狗小僧との交流にまつわるオカルト的な部分など面が目立つものの、古代の神話を捉えなおしたその真意は民草のために様々なものに宿る神々がバランスを保って世界を成り立たせており、天皇も究極的にはその役目のために存在意義があるというまっとうな思想に思える。それだからこそ向学心・信仰心のある当時の人々がこぞってその門下になったのだと分かる。そしてそのラジカルな部分が体制(幕府)への反抗も生み出し、のちには皇国史観にも利用されることになるのだろう。

Posted by ブクログ

2016/08/21
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

・伊吹廼舎塾蔵板の平田篤胤「鬼神新論」を、数少ない和本の1冊として、私は持つてゐる。もちろん読むためではない。篤胤本は和本としては圧倒的に安いから買つたまで、これで読まうなどとは考へもしない。それでも巻頭ぐらゐは見てみるもので、序文から本文の初めあたりまでは読んでみた。しかし、その序文が尾張の鈴木朖によるものだと知つたのは吉田麻子「平田篤胤 交響する死者・生者・神々」(平凡社新書)を読んだ時だつた。迂闊なんてものではない。第四丁裏に大きく尾張の鈴木朗と書いてある。名が異体字でないにしても、こんなのを見落とすなどといふのはありえない。と同時に、なぜ鈴木朖かと思ふ。朖は今なら国語学者と言ふべき人であらう。篤胤とはタイプが違ふ。篤胤は「ある偏ったイメージをもってずいぶんと批判的にかたられてきた」(12頁)人である。時にファナティック、もつとはつきり言へば狂信的国粋主義者と評されてきた。宣長に比して悪し様に言はれることの多い人であつた。そんな人間と鈴木朖がどこでつながるのか。先の序文によれば、「朖は、篤胤の語る神に共感したわけである。」(44頁)。正直なところ、この短い記述だけで篤胤のイメージがずいぶん変はるのではないかとさへ思ふ。「鬼神新論」が篤胤の出発点であればこそ、鈴木朖との交感が、篤胤が本質的に狂信者ではないと示してゐるかの如くである。「篤胤のとらえる天地には、善悪どちらにも転びうるさまざまな傾向を備えた神がたくさんいて、それぞれがいろいろな役割を負っている。その霊位に包み込まれるようにして、いまこの瞬間にも人の世は存在し動いてゐる。神たちは、人間の善悪の行動に直接反応して幸福や禍を下すわけではない。もっとずっと多様で不思議な存在なのである。」(38頁)儒仏等への批判の中からかういふ考へが出てきた。それに朖は共感したのである。それも、序文を読むかぎりでは、ベタほめと言つても良いほどのほめ方をしてゐる。篤胤はそんな人であるらしい。 ・本書はファナティックではない篤胤像を提示しようとする試みの書である。政治的に行動しただけの人ではない、といふのもをかしな言ひ方だが、篤胤である。「少なくとも篤胤は、人間を、そのいとなみを、間違いなく愛している。名も無き庶民を、人間が生きることを、まるごと肯定している。にもかかわらず、 中心としているのは人間ではない。」(246頁)つまり、「生きている人間を中心としないヒューマニズム」(247頁)である。なぜさうなのか。「生きて いる人間だけを大切にするのでは、真の意味で人間を大切にすることができない」(246頁)からである。ここで幽冥界が出てくる。「八百万の神々とそこら中にある亡くなった人たちの魂」(同前)の属する世界である。「八百万の神々・死者(先祖)・生者、この三つの繋がりこそが、世界全体を構成し、人間が生きることの基軸となっている--篤胤の実感はこれに尽きる」(122頁)のださうである。例の生田万を篤胤は高く評価したらしい。「民衆(これはムスビノカミから与えられた尊い魂でもある)を飢えさせる為政者を許しておけなかった生田万」(230頁)は篤胤のこの実感に合つてゐたのであらう。そして幕末、 篤胤に影響された人々が維新に参画し、明治政府でもその影響力を保つ。篤胤本人とは無縁の場所で、つまみ食ひされた篤胤の思想が政治と行動の中で広がつていつた。これが篤胤の悲劇であつたらうか。本書によつて篤胤が見直され、ヒューマニストとして注目されることがあるかどうか。ただし、さうでなかつたがゆゑに、今でも篤胤本が安く買へるのではあるが……。

Posted by ブクログ

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