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キリストが主だから いま求められる告白と抵抗 新教コイノーニア32
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キリストが主だから いま求められる告白と抵抗 新教コイノーニア32

山口陽一(著者), 朝岡勝(著者)

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キリストが主だから いま求められる告白と抵抗 新教コイノーニア32

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新教出版社
発売年月日 2016/06/01
JAN 9784400407393

キリストが主だから

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2016/07/07

昨今の政治情勢が「右傾化」していること、そして日本の教会が第二次大戦中に妥協したことの反省に立って、「抵抗」しなければならないことが主張されている。 「右傾化」と「抵抗」、これらそれぞれ、日本のキリスト者の中でも、さまざまな見解の相違があると思う。 ・「右傾化」について  著...

昨今の政治情勢が「右傾化」していること、そして日本の教会が第二次大戦中に妥協したことの反省に立って、「抵抗」しなければならないことが主張されている。 「右傾化」と「抵抗」、これらそれぞれ、日本のキリスト者の中でも、さまざまな見解の相違があると思う。 ・「右傾化」について  著者たちの認識に私自身も基本的に同意する。しかし、時に、「右」や「左」という区分けは、現実政治・社会の複雑さを捨象してイデオロギー的に「思い込む」危険もあるように思う。あえて違う立場の人たちや、さまざまな社会科学の知見から学び続ける必要がある。  なお、著者たちが慎重に「右傾化」や「右派」という言葉を(若干の例外を除き)使っていないことは好ましく思った。 ・「抵抗」について  抵抗権という言葉が使われていた。カルヴァン以降のプロテスタント(改革派)神学の用語。しかしそれは本当に聖書的な概念なのか、私は疑問を持っている。  たとえばピューリタン革命が抵抗権をもって王政を破り、その過程で近代的文化価値である人権やデモクラシーが生まれた。しかしそれは、歴史のザイン(事実)であって、ゾレン(当為)ではないのではないか。  つまり、抵抗権が歴史的に良いものを生み出した面があったのは事実だとしても、それをキリスト者の行動の規範にするべきなのか。抵抗権が「祈り」に留まるなら良いとして、具体的な抵抗となるとき、それは何らかの形の「暴力」を含むことになるのではないか。軍事的暴力でないにしても、政治的に打倒しようとする相手を罵倒するならば、それは言葉と内面における「暴力」だろう。  そして歴史的には、実際的な暴力に結びついていった。ピューリタン革命では最終的に王の首をちょんぎった。そして内戦で多くの人々が命を落とした。それは、結果として良いものを生み出したから良かったのだ、と簡単に言えるのか。  キリスト者の倫理はイエス・キリストに従うことであると私は考えるが、そのイエスは「抵抗」を説いたようには思えない。むしろ、歴史と世界の主である方に信頼を寄せることを語ったのではないか。  抵抗権というのは、コンスタンティヌス体制の国家神学の、一種の裏返しに過ぎないのではないか、、、という疑念がいまだ晴れない。

Posted by ブクログ

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