1,800円以上の注文で送料無料

論理学 考える技術の初歩 講談社学術文庫2369
  • 中古
  • 店舗受取可
  • 書籍
  • 文庫

論理学 考える技術の初歩 講談社学術文庫2369

エティエンヌ・ボノ・ド・コンディヤック(著者), 山口裕之(訳者)

追加する に追加する

論理学 考える技術の初歩 講談社学術文庫2369

定価 ¥1,056

550 定価より506円(47%)おトク

獲得ポイント5P

在庫わずか ご注文はお早めに

発送時期 1~5日以内に発送

店舗受取サービス対応商品

店舗受取なら1点でも送料無料!

店舗到着予定

11/13(水)~11/18(月)

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2016/07/10
JAN 9784062923699

店舗受取サービス
対応商品

店舗受取なら1点でも送料無料!
さらにお買い物で使えるポイントがたまる

店舗到着予定

11/13(水)~11/18(月)

論理学

¥550

在庫わずか
ご注文はお早めに

カートに追加するカートにいれる

商品レビュー

4.3

5件のお客様レビュー

レビューを投稿

2020/07/31

人間は知っていることを分析することによって、知らなかったことも知ることが出来るようになる。どんなに愚かでも、地道に考え抜けば知ることの出来ないということはないのである。勉強する上での初心としたい

Posted by ブクログ

2019/01/11

原書名:La logique 第1部 自然はいかにして我々に分析を教えるか。また、この分析という方法に即して観念と心の諸機能の起源と発生を説明すると、どのようになるか(自然はいかにして考える技術の最初のレッスンを我々に与えるか;知識を獲得する唯一の方法は分析である。いかにして我...

原書名:La logique 第1部 自然はいかにして我々に分析を教えるか。また、この分析という方法に即して観念と心の諸機能の起源と発生を説明すると、どのようになるか(自然はいかにして考える技術の最初のレッスンを我々に与えるか;知識を獲得する唯一の方法は分析である。いかにして我々は分析という方法を自然そのものから学ぶか;分析は精神を正確なものにする;いかにして自然は我々に感覚的対象を観察させ、さまざまな種類の観念を獲得させるか;感官で捉えられないものごとについての観念;同じ主題のつづき;心の諸機能の分析;同じ主題のつづき;感覚能力と記憶力の原因について) 第2部 分析の手段と効果についての考察、すなわち、よくできた言語に還元された推論の技術(我々が自然から学んだ知識はいかにしてすべてが完全に結びついた体系をなすか。自然の教えを忘れたとき、我々はいかにして道に迷うか;いかにして行動の言語が思考を分析するか;いかにして言語は分析的方法になるか。この方法の不完全性;言語の影響について;抽象的で一般的な観念についての考察。推論の技術はいかにしてよくできた言語に還元されるか;言語の乱用を改善する唯一の手段は定義だと考える人がどれほど間違っているか;言語が単純であれば、推論はどれほど単純になるか;推論の技巧は何に存するか;確かさのさまざまな段階。明証性、推測、類推について)

Posted by ブクログ

2018/06/20

<読中P59辺り>  中学生の頃の出来事。友達と自転車で遠く吉祥寺まで遊びにでかけた時のこと。百貨店のエレベーターに乗り込んで上がる途中。保育園児くらいの子とその母親が乗り込んできた。するとその幼子はおもむろに「お父さん」と言いながら自分の足に抱きついてきた。はじめての体験で戸惑...

<読中P59辺り>  中学生の頃の出来事。友達と自転車で遠く吉祥寺まで遊びにでかけた時のこと。百貨店のエレベーターに乗り込んで上がる途中。保育園児くらいの子とその母親が乗り込んできた。するとその幼子はおもむろに「お父さん」と言いながら自分の足に抱きついてきた。はじめての体験で戸惑う自分。母親も若干気まずそうに「違うわよ」と言いながら我が子を引き剥がす。 母子は先にエレベーターを降り、その後自分は友達からお父さんとからかわれていた。翌日の学校で笑い話のネタくらいにはなったのだろうか。その後のことは、ビートルズの青盤CDを中学生ながらに断腸の思いで購入した事のほうがインパクトが大きくて覚えていない。 あの時の子供は自分の何をもって「お父さん」と認知したのだろうか。顔のようなある程度成長した人が判別するのに用いるパーツではないようだ。小さいあの子の視界で考えてみれば、答えは自分が履いていたパンツにあるのだろう。当時私は子供のくせに大人が履きそうな濃いベージュのチノパンを履いていた。きっとその子の実の父親も普段はそんな恰好だったのではないか。  そうすると、その幼い子供にとって「父親」という観念は、チノパンはいている人全般だったということになる。仕事の忙しいお父さんは、ひょっとするといつも子供がまだ寝ている時に出勤して、眠りについた後に帰宅していたのかもしれない。まともに接することができるのは休日のパパである時だけ。その時の格好が自分に似ていたのだろうか。 だとすればなんて可哀想な出来事。きっとその子が生まれてから、お父さんは自分のことを覚えてもらうためにたくさん抱っこしたことだろう。初めてパパと呼ばれた時は一体どれほどの感動を味わったことだろうか。 しかし、実際にその子がパパと呼ぶ対象は個別のその父親ではなかった。まだまだ彼を唯一のパパと認めるには不足しているものがあったに違いない。 母親は内心ほくそ笑んでいたかもしれない。日頃家事育児を押し付けているからこーゆーことになるんだ、と。 母親の勝利宣言。 母は強しである。

Posted by ブクログ

関連商品

同じジャンルのおすすめ商品

最近チェックした商品