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BB/PP
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2016/06/20 |
JAN | 9784062200318 |
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BB/PP
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商品レビュー
3.8
7件のお客様レビュー
「BB / PP」(松浦寿輝)を読んだ。 短篇集。 表題作の「BB / PP」はかなりグロテスクで、それは私に映画「エクス・マキナ」(監督 : アレックス・ガーランド)を思い出させる。 それ以外はどれもモノクロームの写真を眺めているような静けさを纏い、あるいは色褪せた古い写...
「BB / PP」(松浦寿輝)を読んだ。 短篇集。 表題作の「BB / PP」はかなりグロテスクで、それは私に映画「エクス・マキナ」(監督 : アレックス・ガーランド)を思い出させる。 それ以外はどれもモノクロームの写真を眺めているような静けさを纏い、あるいは色褪せた古い写真を眺めているようなもの悲しさを纏い、読んでいる途中にふと意識が何処か別のところ(かつて自分が通り抜けてきた分かれ道であったり、わずかの間住んだ外国の路地裏であったり)へさまよう。 それほど陰鬱なストーリーではないので眉間に皺は寄らない。(表題作は別!) なかでも「四人目の男」はけっこうスリリングで良いね。 最後の一篇はなにか少し説明っぽいかな。
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好き嫌いがはっきりわかれるだろう、この短編集は。スノッブって言ってしまったらみもふたもないかもしれない。 でも、年を重ねて過去の記憶と向き合うことって、たとえばあの頃は良かったって思うのはやっぱり、人生は綺麗なだけじゃないし、本当のことは誰にも見えないんだよなっていうことをすごく...
好き嫌いがはっきりわかれるだろう、この短編集は。スノッブって言ってしまったらみもふたもないかもしれない。 でも、年を重ねて過去の記憶と向き合うことって、たとえばあの頃は良かったって思うのはやっぱり、人生は綺麗なだけじゃないし、本当のことは誰にも見えないんだよなっていうことをすごく考えることにつながっているような気がする。意味がよくわからない文章になってしまった。 とにかく、松浦寿輝先生が好きなのは自分もここにいるような文章と、あとワタシが知っているところを先に先生が歩いている感じがするからかもしれない。
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『人間って、結局、自分の身の丈相応でしか他人を判断できないんだよね』―『ミステリオーソ』 例えば村上春樹の小説によく登場する暗い穴。作家はその底をよくよく覗き込んで人の奥底に潜む凶暴な人格を暴き出そうとする。しかし村上春樹の小説で描かれるそれは、所詮(と言ってよければ)カエルく...
『人間って、結局、自分の身の丈相応でしか他人を判断できないんだよね』―『ミステリオーソ』 例えば村上春樹の小説によく登場する暗い穴。作家はその底をよくよく覗き込んで人の奥底に潜む凶暴な人格を暴き出そうとする。しかし村上春樹の小説で描かれるそれは、所詮(と言ってよければ)カエルくんによって元の暗い地中へ押し戻されるそれであり、散々広げた風呂敷をあっさりアトレーユに託して知らぬふりを決め込んでしまえるそれであるに過ぎない。誰もが持っている知られたくない後ろ暗い思い、あるいは隠された人格のようなものとは、そんな生易しいものではないだろう。それは羞恥心と表裏一体の感情であるからこそ隠しておきたいという力が掛かり、その圧によって増す凶暴で陰湿な裏側の、実在する顔でもある。無かったことには決して出来ない。そこを松浦寿輝は臆するところなく直截に敢えて書く。 「そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所」という小説に惹かれて以来、松浦寿輝という作家名を時折書棚に求めている自分に気付くことがある。その行為の根本にあるものは、エログロ、あるいは自暴自棄なものと紙一重という感覚はある。しかし口唇期の子供が無性に興奮するように、触れてはいけないものへの興味のようなものを松浦寿輝にはいたく刺激されるのだ。自分の中にもそんな人格が潜んでいることを意識してのことか、あるいは暴力的なまでの非常理に蹂躙されたいという気持ちがあるのか。簡単にその答えには行き当たらない。 あるいは、単にこの作家が社会から脱落した中年男性を好んで描くことが、その理由なのかも知れない。自分の年齢を意識して残りの時間を計算せさるをえないことが知らぬ間に誘導する思い、これまでにしたことの無いような何かを希求してのことなのかも知れないと、妙にこじつけて考えてみる。所詮、最後は自分一人なのだと開き直ることが松浦寿輝の小説には求められているような気がして、ただそれだけが聞きたくて惹かれているだけなのかも知れない。とは言え松浦寿輝の書くものを何でも好んで読むわけではない。 この本は同じ趣きのものをまとめたようには見えないが、言いたいことは全て共通している様にも読める。それを敢えて言葉にするなら、飽き、ということなのか。その先に何かが待っているような結末はなく、置き去りにされた思いが常に 残る。極端に言ってしまえば、描かれるのは訳が解る範囲での訳の判らなさ。人の業の深さを720度スクリューの着地点的に噛みしめる。
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