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我が詩的自伝 講談社現代新書2364
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2016/04/01 |
| JAN | 9784062883641 |
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我が詩的自伝
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商品レビュー
3.8
7件のお客様レビュー
詩人の内面と人生の軌跡を深く掘り下げた一冊は、戦時下の幼少期から始まり、混乱の時代を経て詩壇にデビューするまでの道のりを描いています。著者は、暗い時代の影響を受けながらも、聖書体験や欧米文化から得たインスピレーションを通じて、内面の葛藤を乗り越え、自身の詩作を確立していく様子を語ります。彼の言葉には、繊細さと同時に強靭さが宿り、詩の響きや形状が生み出す象徴的な世界が、個人的な体験と集団の無意識を結びつける力を持っています。読者は、彼の独特な視点を通じて、時代を超えた普遍的なテーマに触れ、詩作にかける意志の強さに感銘を受けることでしょう。
※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。
なぜ吉増剛造を読もうと思ったのか。もう記憶が定かではないが、岩波新書の「中上健次」を読んでいて、いつか吉増剛造の書いたものを何か読もうと思ったのだと思う。BOOKOFFのオンラインでいろいろ探していて一緒に買ったのだと思う。もっと以前には、舞踏との繋がりで名前だけは知っていた。作...
なぜ吉増剛造を読もうと思ったのか。もう記憶が定かではないが、岩波新書の「中上健次」を読んでいて、いつか吉増剛造の書いたものを何か読もうと思ったのだと思う。BOOKOFFのオンラインでいろいろ探していて一緒に買ったのだと思う。もっと以前には、舞踏との繋がりで名前だけは知っていた。作品に触れたことは一度もなかった。本書はインタヴューに答える形での自伝となっている。途中にいくつかの詩が載っている。読んでいても全く頭に入らないし、意味は全く伝わらない。試しに「古代天文台」を声に出して読んでみた。読みにくい、けれど繰り返しは心地良い。たまたまスクリャービンの交響曲二番がBGMでかかっている。(自分が並べて置いている、父が遺したレコードの中から順番に抜き取って聴いている。)意味は入らないが、勢いは伝わる。100分de名著では「シュルレアリスム宣言」をやっていた。その中で自動記述という手法が紹介されていた。本書の中にその言葉を見つけた。そう思って読んでみると霊性が感じられる。本当は大野一雄とのエピソードなどを読みたかったが、名前が挙がるだけで具体的な出来事はなかったように思う。ただ土方巽よりは大野一雄だということ。土方の方が文化の中心を走っていたような書き方がされていたが、僕は全く逆を想像していた。田村隆一についてはいくつか触れているが、谷川俊太郎については何もなかった。付き合いがなかったのか、避けていたのか。吉本隆明の本を書き写すというのはいったい何を思ってのことなのだろう。島尾ミホと石牟礼道子との対談は何としても読まないといけないと再度思った。たぶんニーチェの「ツァラトゥストラ」も、挫折したままのレヴィ=ストロース「悲しき熱帯」も、キルケゴールも岩波文庫の「死に至る病」が棚にあったはずだから。それから、なぜか本棚にある(妻が持っていた)中原中也と立原道造の詩集も。一冊読むと読みたい本がまた数冊増える。困ったものだ。
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吉増剛造を知らなかったことを後悔した。 こんな自伝は空前絶後だ。 言葉を求める詩人の呻くような自伝であり、 ブラジル人の夫人に出会わなければ自死していたであろう男の極限の叫びが響き渡る。 詩人というのは、魂の表現者なのだ。 心の底、海の底、夢の底まで潜り、始原としての言葉を紡ぎ...
吉増剛造を知らなかったことを後悔した。 こんな自伝は空前絶後だ。 言葉を求める詩人の呻くような自伝であり、 ブラジル人の夫人に出会わなければ自死していたであろう男の極限の叫びが響き渡る。 詩人というのは、魂の表現者なのだ。 心の底、海の底、夢の底まで潜り、始原としての言葉を紡ぎ出し、それを表現(読み、叫び、叩き、色彩)するのだ。 彼の、哲学者と共振する姿が凄い。 哲学書を読むことの本質を教えてくれる。 知性ではなく、心(魂)で触れること。 哲学者が望むのは、こうした魂の伝達なのかもしれない。 キュルケゴール、ニーチェ、ハイデガーそしてヘーゲルとの魂の共振を楽しむ。 吉本隆明の読み方に至っては、筆写し、仮名書にし、そこから霊感を得る、という。 (この自伝を読んで、難解な本は筆写することにした。それを「写経」と読んでいる。しばらく、「写経」していると著者の魂が憑依してくるのか、次にどう展開するか分かるようになってくる) ブラジル人の夫人マリリア、島尾ミホ、荒木陽子という女性性、巫女性の根元に触れることで、この魂の表現者は、益荒男からメタモルフォーゼする。
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実に「軽い」と思う。この言葉は時に「尻軽」「軽薄」といったイメージを呼び起こしやすいが、吉増剛造の佇まいはぼくの印象ではそういったネガティブな意味を帯びない。「軽々」としたフットワークでジャンル(詩や文学といった芸術的障壁、あるいは国境)を飛び越えてしまう「軽さ」を備えていると思...
実に「軽い」と思う。この言葉は時に「尻軽」「軽薄」といったイメージを呼び起こしやすいが、吉増剛造の佇まいはぼくの印象ではそういったネガティブな意味を帯びない。「軽々」としたフットワークでジャンル(詩や文学といった芸術的障壁、あるいは国境)を飛び越えてしまう「軽さ」を備えていると思ったのだ。ゆえに彼の詩も、しかめっ面をして小難しく読むよりもぼく自身が動きながら読むべきではないかとも思う。「自伝」というには系統立てて語られたものではなく、せっかちに話題はあっちこっちに動く。これを「うねり」と読むかはあなた次第
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