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広島第二県女二年西組 原爆で死んだ級友たち
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 1985/02/01 |
JAN | 9784480852595 |
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広島第二県女二年西組
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先日、父宅へ行ったとき(もらってくださる方があって、父の古本を梱包して発送するため)、母の机まわりの本を久しぶりに見ていたら、ホコリをかぶった『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち』があったので、父にことわって借りてきた。 母の本は九刷だった。1985年の2月末に出た本が...
先日、父宅へ行ったとき(もらってくださる方があって、父の古本を梱包して発送するため)、母の机まわりの本を久しぶりに見ていたら、ホコリをかぶった『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち』があったので、父にことわって借りてきた。 母の本は九刷だった。1985年の2月末に出た本が、半年足らずで九刷ということは、この類の本にしてはかなり売れたのだと思う(この本はのちにちくま文庫にも入っている)。 この本は、サブタイトルのとおり「原爆で死んだ級友たち」の最期の姿を求めて、遺族探しをし、ほそぼそと取材を続け、被爆したあとの足取りをたどりながら、8年かけて、関自身のおぼえている級友たちの姿を書き込んだものである。 二県女の西組は、雑魚場町の建物疎開作業に動員されていた。市役所の裏、爆心から南へ1.1キロの地点である。現場にいた教師は全員死亡、生徒は、1人生き残った坂本節子をのぞき38人が8月20日までに死亡。著者の関を含め、この日欠席した6人が生き残った。 仏教でいう33回忌にあたる1977年に遺族の集まりをひらき、出席した遺族みなに、被爆のもようを語ってもらったことが、関に、クラスの被爆記録を作ることを決意させた。二県女から、爆心近くの建物疎開作業に動員されていたのは、二年西組だけだった。 ▼ 学校の被爆記録は、大てい遺族の手記である。が、私は、この形をとりたくなかった。手記集では、書くことを承知した人だけしか集まらず、全貌はつかみにくい。手記を書ける人は少い。思い出すのも辛くて書くなぞ…という人の方が多いのである。具体的に二年西組の父母で、自分の子を失った体験を何らかの形で活字にしている人は二人にすぎない。 だが、話のも辛いといっていた人が、無理にもとお願いして会ってみると、胸迫る体験を話して下さったものだ。辛すぎて話したくない気持ち、その後の四十年間の苦しみも含めて、全員のことを書き残したかった。 また、同じ組で机を並べていた私が書く以上、単なる被爆記録でなく、一人一人を人間として書きたかった。記憶が不鮮明になり、描き切れなかった友もあり、私の偏った見方もあるかもしれないことをおわびしておく。 それと、手記としなかったもう一つの理由は、個人の記憶の頼りなさ、思いちがいである。たくさんの被爆体験手記を注意深く読んでいると、一つ二つ、オヤということがある。証言が食いちがうのである。これは誹謗ではない。私自身の書いたものも、今回調べてみて、たくさんのミスを発見した。これはもちろん悪意からではない。ひとの記憶そのものがあいまいなものなのだ。(pp.219-220) 関が書いたそれぞれの級友たちの最期の姿、遺族の話もすごいものだが、私は「生き残った者が、何かしら負い目と悔恨を抱えている」というところも強く印象に残った。関自身は「学校を休んで助かった」という負い目をずっと抱えていた。その日の朝、誘いにきた友だちが亡くなったことを、関も関の母もずっと胸を痛めていた。 だが、欠席生き残りの関たち以上に、特別視されて辛かったのは"雑魚場でただ一人生き残った"坂本節子だろう。慰霊祭の度に代表してあいさつせざるをえず、何かといえば手記を求められ、どうしても"普通の生徒"にはなれなかった。 関はこんな風に書いている。 ▼「私は運がよいとして、では死んだ者は"運が悪かった"のか。二十万人もの人が…」 (中略) この思いを、原爆の生き残りは「すまない」という言葉で表現する。自分が原爆を落したわけでもないのに、なぜこんな思いを…と割り切れぬ憤懣を抱きながら、やはり「すまない」という。(pp.196-197) 近所のKさんから、爆心から1.3キロの国民学校で被爆し、学校で二人きり生き残ったという経験をもつことを聞いたのは去年。「どうして自分だけが生き残ったんだろう」と思ってしまう、とくに8月6日が近づくと「どうして、どうして」って思ってしまうとKさんは言う。そんなKさんの言葉とおなじものを「すまない」に感じる。 今日は母の誕生日だった。もし生きていたら満で70歳。60代を迎えずに死んだ母が、もし生きていたら70になるというのは不思議な感じである。 買ったときにすぐ読んでいたなら、母がこの本を読んだのは40代の半ば。母の読後感はどんなものだったのだろうと、わからぬことだけれど、ちょっと考える。
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