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遊戯の終り 新装版
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 国書刊行会 |
| 発売年月日 | 1990/11/15 |
| JAN | 9784336026590 |
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遊戯の終り 新装版
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商品レビュー
5
3件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
久しぶりにコルタサる読んで面白かったー!確か大学生の頃に(というのは10年くらい前!?)、岩波の悪魔の涎を読んでナンジャコリャーとなっていたのだけど、その後意外と手に取っていなかったのだ。 Ⅰ 「続いている公園」 本を読んでいるはずの主人公が、実はその小説の登場人物だった話(悪魔の涎にも収録) 「誰も悪くない」 セーター着る時に腕が〜という経験は誰しもあると思うが、それをこういう風に描く筆致の凄さ。日常にある狂気と正気の境界線が炙り出されて、"真っ当に"と思っていることの不気味さが露呈するのだ…。そして最終的に主人公が下す決断は、「どこかへ逃げよう、手もセーターもないところへ逃げよう。そう考えて彼は立ち上がった。自分をやさしく包み、どこまでもつき従ってくれる騒がしい大気へ、十二階の窓の外へ」(p.15)なのに震えた 「河」 こちらも話していたら、話していたことが現実になっていたオチ。セーヌ河に身投げして、「きみ」はもう手遅れだ。 「殺虫剤」 少年の日のありそうな思い出〜。好きな女の子が、仲の良い男友達に出し抜かれて、その鬱憤を別のところで晴らす話。 「いまいましいドア」 幽霊話?と思ったけど、女性が一人自演で赤ん坊をあやしているのを冷やかして反省する話 「バッカスの巫女たち」 群衆の行動を冷静に見たらこれだけ奇天烈なのかも…という一作。コルタサル、クラシック音楽お好きですよね…という作品でもある。音楽に熱狂して、人々は集団として個を失い、荒れ狂う。 Ⅱ 「キクラデス諸島の偶像」 友の狂気がいつの間にか自分自身に転移してしまっているという話で、こちらも狂ってんなあ…というので好きでした笑。呪いとも言える、伝染したとも言える。。 「黄色い花」 自分たちを不死と思い込んだ男の"可哀想な話"なのか、"世界は真実そうなのか"わからないという話。 「夕食会」 手紙形式でやりとり。友はなぜか自殺する、その理由は明かされない。婉曲なやりとり。 「楽隊」 …彼が見たのは確かに現実なのだが、同時にそれはまやかしでもあった。回りのものすべてがどこか狂っているように思われたが、もうあまり気にならなかった。自分は別世界にいるのだ、そう考えると、街も『ガレオン』も、紺の背広も、今夜の予定も、オフィスでの明日の仕事、貯蓄計画、避暑、ガールフレンド、中年になること、死を迎えること、何もかもがその世界の中に組み込まれており、当然のことに思われた。…(p.108) 「旧友」暗殺者が旧友を暗殺する話。コルタサルぽい…笑 「動機」殺された友の復讐に船に乗り込んだ男のすったもんだの話 「牡牛」とあるボクサーの人生 Ⅲ 「水底譚」 こちらも夢の話をしていたかと思うと、それが現実になるというスタイル 「昼食のあと」 何かわからない"あの子"と散歩に行く話。普通に犬か何かかな?って思って読んでしまったので不気味さはあまりなかった笑。 「山椒魚」 気づいたら自分が山椒魚になっているという…笑、ザムザ?て感じですが、こちらは入れ替わりというか憑依。 …そして今、この終極的な孤独の中で(彼はもうここへ戻ってはこない)、ぼくの慰めと言えば、いずれ彼がぼくたちについて何か書いてくれるだろう、自分では物語のひとつも思いついたつもりになって、山椒魚についてこのような物語を書いてくれるだろう、そう考えることだけなのだ(p.163) と、実は読み終わったこの物語がその物語であるという体。 「夜、あおむけにされて」悪魔の涎にも収録されているが、一ミリも覚えていなかった…現実と思っていたものが夢で、夢だと思っていたアステカの戦士たちから逃れる諸々が現実だった、かもしれない、というどっちがどっちの話。面白かった。 「遊戯の終り」 「殺虫剤」と同じような形。こちらは女子3名と、そこに乱入してくる男の子だが。これは別に刺さらなかった
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1956年発表というのだから、パリに来てまだ五年しかたっていない頃の作品である。掌編といってもいいほど短い作品も混じっているが、とてもとても習作などとは呼べない完成度を見せている。とはいえ、まだどこか初々しさを感じさせるコルタサルを知ることのできる初期短篇集。 日常の何気ない出...
1956年発表というのだから、パリに来てまだ五年しかたっていない頃の作品である。掌編といってもいいほど短い作品も混じっているが、とてもとても習作などとは呼べない完成度を見せている。とはいえ、まだどこか初々しさを感じさせるコルタサルを知ることのできる初期短篇集。 日常の何気ない出来事ともいえないような些事の中に潜んでいる「向こう側の世界」への裂け目を見つけるのが、コルタサルは巧い。「誰も悪くない」は、待ち合わせ中の妻のところにかけつけようと、急いでセーターを着かけた男のいささか滑稽な情景を描いている。あわてていて通すところをまちがえたのか、なかなかセーターが着られない。手や頭が外に出ないので、身動きが取れなくなるなどというのは、誰でも一度や二度は経験があるにちがいない。ただ、それがコルタサルの手にかかると、背筋が寒くなるような怪談に変わる。自分の意思に逆らって、わが身を絞めつけ絡めとろうとしてくる何かに対する不安が、現実の世界を異界に変える。 「ねじこむように手を通してゆくと、わずかだが通ってゆき、やっと青いセーターの袖口から指が一本のぞいた。夕方の光を受けたその指は内側に折れまがり、皺だらけで先には尖った黒い爪がついている。」 セーターが異界との通路と化し、そこを通り抜けた手は、最早自分の手でありながら魔物のそれのような禍々しい形状に変貌を遂げている。あわてて抜くと別段変わったこともない。セーター(通路)の入り口に戻ったからだ。安心して頭も左手もセーターの中に入れてしまうと、再びセーターの外に出た右手はさらに勝手な動きをしはじめ、ついには左手に噛みついたり顔を引っかいたりしはじめる。外側から見れば踊りでも踊っているように見えるが、内側では恐ろしい混乱が生じている。セーターと右手のない世界に逃れようとした男を待っていたものとは。 自分の中にあって、自分の自由にならないものを、人は誰でも持っている。多くの人はうまくそれを誤魔化し、それと折り合いをつけ、気づかないふりをして世間を渡っているのだ。しかし、感受性が強かったり、神経質すぎたりする人は、それに目を瞑っていることができない。それは恐怖であり、苦痛だから。 コルタサルの世界は閉じている。すべては独白の世界だ。対話形式であっても相手はもう一人の自分に過ぎない。他者の入り込む余地のない自閉空間。水族館の水槽の中にじっとしている山椒魚を毎日毎日飽かず見続ける「山椒魚」の少年は知っているのだ。その山椒魚が自分であることを。バスの中で幼い頃の自分そっくりの少年を見つけ、仲よくなる「黄色い花」の男もまた、それが小さい頃の自分に他ならないことを知っている。しかし、それを他者にどう分かってもらえばいいのだろう。少年はふと思いつく。どうせ他人はそれをまともに受け止めない。それなら、いっそ「奇譚」として語ればいいのだ。こうして一人の幻想小説作家が誕生する。 異国で生まれ、幼少時に帰国したと思ったら、父が出奔。母親は子どもを親戚に預けて働き、女手ひとつでフリオを育てたという。多感な少年の心は、如何ばかりだったであろう。そのせいか、少年時代を舞台にした作品がコルタサルには少なくない。本作の中では、「殺虫剤」「昼食のあと」「遊戯の終り」がそれに当たる。どれも少年時代の心のふるえが伝わってくる優れた出来映えをみせている。孤独であるからこそ、人一倍他者に認められたい気持ちが強くなる。複数の人間が互いの愛を求め合う立場で対峙するときに生じるきしみに異様に敏感な少年少女の心理を描くとき、コルタサルの筆は余人の追随を許さない。 ともすれば、自分の心の闇に怯え、他者との関係の難しさに挫けそうになる、若い時代に読みたかったと思う短篇集である。
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短篇集。18篇収録。 とくに印象的だった作品は以下。 「誰も悪くはない」 ただセーターを着ようとするだけのことが、こんな話になってしまうなんて。 「殺虫剤」 題名からして何やら不穏な空気を感じてしまう。なんだろう、この全編を貫く緊張感は。 「バッカスの巫女たち」 熱狂的...
短篇集。18篇収録。 とくに印象的だった作品は以下。 「誰も悪くはない」 ただセーターを着ようとするだけのことが、こんな話になってしまうなんて。 「殺虫剤」 題名からして何やら不穏な空気を感じてしまう。なんだろう、この全編を貫く緊張感は。 「バッカスの巫女たち」 熱狂的な集団が狂気に転じていく恐ろしさ。醒めた目でそれを見ていた はずの語り手もいつしか・・・・。 「キクラデス島の偶像」 狂気の転移 「夕食会」 ずれた時間。何も気づかないうちいつしか他人とは違う時間の流れで生きていたら・・・ 「旧友」 「動機」 「牡牛」 不思議な出来事が描かれているわけではないのに、男たちの独白に思わず引き込まれていく。 「昼食のあと」 あの子ってもしや・・・・ “あの子”を散歩に連れ出すだけのお話が、コルタサルにかかると 不穏で醒めない悪夢のなかにいるみたいになる不思議。 「遊戯の終り」 心がひりつくような話。 その他の収録作品。 「続いている公園」 「河」 「いまいましいドア」 「黄色い花」 「楽隊」 「水底譚」 「山椒魚」 「夜、あおむけにされて」
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