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唯識の思想 講談社学術文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2016/03/01 |
| JAN | 9784062923583 |

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唯識の思想
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商品レビュー
4.1
20件のお客様レビュー
ここまでの利他の精神を持つことは、私には到底出来そうにないが、考え方を知れたことは財産になった。また、定期的に読み返そう。60歳で再読した時にはどう感じるだろうか。
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③意識の働き ・仏教がキリスト教と異なる点は、キリスト教が信仰を第一にする、すなわち聖書に書かれた神の言葉は絶対であることに対し、仏教では、釈迦の教えは絶対ではなく、自分自身の感覚や思考を通して、真理を見つけに行くことを求められている点である。唯識論においては、外界は存在せずすべ...
③意識の働き ・仏教がキリスト教と異なる点は、キリスト教が信仰を第一にする、すなわち聖書に書かれた神の言葉は絶対であることに対し、仏教では、釈迦の教えは絶対ではなく、自分自身の感覚や思考を通して、真理を見つけに行くことを求められている点である。唯識論においては、外界は存在せずすべては認識によって言語化することで利便的に作り出された仮の姿であるとする。
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唯識=「唯、識のみ」。 世界は自分の認識次第でいかようにも捉えられる。 ずっと惹かれてきた考え方です。 けれど一歩踏み込んでみると、 簡単な「前向き思考」だけじゃないんですね。 コップに半分しか水がない コップに半分も水がある …のたとえはよく聞きますが、 ある時は...
唯識=「唯、識のみ」。 世界は自分の認識次第でいかようにも捉えられる。 ずっと惹かれてきた考え方です。 けれど一歩踏み込んでみると、 簡単な「前向き思考」だけじゃないんですね。 コップに半分しか水がない コップに半分も水がある …のたとえはよく聞きますが、 ある時は「半分もある」と思えるものの、 喉が渇いたり、イライラすると 「半分しかないじゃん!」 と物足りなさを感じる時もある。 そもそも「自分」という存在がままならないし 「認識」すら思うように扱えない。 ここらへんが、唯識のむずかしさであり、 同時におもしろさでもあるとも感じます。 そこで本書を手に取ってみたものの 冒頭から「自分」への疑問を突きつけてきます。 「存在するのは唯だ手、足、ないしは身体だけであります。それなのに、自分という言葉を付与して「自分の手」といって、強引に手を自分の所有物にしてしまうのです(P10)」 「自分の手」といった具合に 所有物のラベルを貼ったその瞬間に 「自分/非自分」の対立が立ち上がり、すると… 「これはオレのだ」 「きみとぼくは違うんだ」 …という具合に偏見や争いが生まれるというわけです。 仏教の大前提は 二元論を大きく超えた「無我」の教え。 「自分なんて無い」 「すべての事象は関わり合いの網の目の中に立ち上がる」 「あなたは私で、私はあなた」 これらを「縁起の理」とか「依他起性」とか言うのだそうです。 唯識はこの自我のクセを解剖します。 鍵になるのは八識。 顕在意識と潜在意識を言語化、体系化してしまった。 しかも2000年前に。スゴい! 五識=身体(眼・耳・鼻・舌・身) 六識=意識(ことば・分別) 七識=末那識(自我への執着) 八識=阿頼耶識(経験の種子を蔵する深層) この世界はすべて阿頼耶識が作り出しているのだそうですが、 とりわけ七識(末那識)が厄介です。 何でも「自分のもの」にしたがるこの子のせいで 阿頼耶識が作り出した世界を唯見る/唯聞く (ありのままに見る/聞く) ことから遠ざかってしまうからです。 「唯」という姿勢は、言うが易し。 めちゃくちゃむずかしいのです。 では、自我に執着してしまう この粘っこい末那識をどうするか。 唯識は学説ではなく行(瑜伽=ヨーガ)だと説きます。 唯識学派が「唯識瑜伽行派」と呼ばれるのは 瑜伽(=ヨガ)の実践を重んじているからです。 ヨガ(瞑想や坐禅も含んでいいと思う)が、 自身の最奥に宿る「種子」と向き合い 智慧の花を咲かせることにつながるようです。 深層心理をめぐる探求は底知れないですけど いますぐにできることは 日々の暮らしをどう丁寧に過ごすか どのような心がけで周りの人と向き合うか そういうところから始まるのだと思います。 こうしたひとつひとつの些細な行いを おなかの底の底の底の方にある阿頼耶識は ちゃんと記憶として胎蔵する。 阿頼耶識は、清められた方が、磨かれた方がいいのです。 なぜなら、この宇宙は、ひとりひとりの存在の奥深くにある、阿頼耶識が作り出しているからです。 「一人一宇宙が」、唯識の大原則なんだそうです。 <本書について> 本書は、唯識を体系的にまとめているというよりは、 半分は筆者の処世訓、人生訓が織り交ぜられており、 そこが好き嫌いの分かれるところかなと感じています。 けれど、唯識を「日々の暮らしの中に生きる言葉」にまで落とし込んで読ませる力は、たしかです。
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