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ユダとは誰か 原始キリスト教と『ユダの福音書』の中のユダ 講談社学術文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2015/11/12 |
JAN | 9784062923293 |
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ユダとは誰か
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商品レビュー
3.5
4件のお客様レビュー
誰に向けた本なんだろ。宗教画の中でユダとユダヤ教が混同されている点が指摘されていて、自分にも当てはまっていたのでなるほどと。
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12人いたといわれるイエスの弟子の名を、 すべて挙げることができますか? 4~5人は思い出せるかもしれませんが、 全部答えられる方は、 少ないのではではないでしょうか? それでもユダの名は、 ほとんど誰もが知っているはずです。 ユダについて書かれた本は、 以前にも何冊か読みまし...
12人いたといわれるイエスの弟子の名を、 すべて挙げることができますか? 4~5人は思い出せるかもしれませんが、 全部答えられる方は、 少ないのではではないでしょうか? それでもユダの名は、 ほとんど誰もが知っているはずです。 ユダについて書かれた本は、 以前にも何冊か読みました。 なぜユダに惹かれるのでしょう? 彼がいなければ新約聖書の物語は 成立しなかったと思えるからかもしれません。 そういう意味では、 12使徒の中でもユダは極めて 重要な役割を担っていたことになります。 イエスはユダが裏切るということを知っていながら、 あえて彼の思い通りにさせました。 なぜならば、 そのことがイエスにとっても、 とても重要だったからです。 本書では4つの福音書の記述を比較しており、 とても興味深い内容でした。 時代によって福音書の書かれた目的、 著者の意図が異なり、 マグダラのマリアのイメージが、 グレゴリウス1世によって歪められたのと同じように、 ユダについての記述も、 時がたつにつれて変化していることがよくわかりました。 ユダもイエスの愛した弟子のひとりです。 その罪は許されていると信じたいです。 べそかきアルルカンの詩的日常 http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/ べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え” http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ” http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2
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※このレビューにはネタバレを含みます
救世主イエスを裏切ったとされるイスカリオテのユダ、その原始キリスト教におけるイメージの変遷を解説した書。正典四福音書およびそれに続く諸文書(使徒教父文書・新約聖書外典)、および『ユダの福音書』におけるユダ像を考察、それぞれの資料がユダにいかなる意味を与えたか、それらから逆算される史実上のユダ(「歴史のユダ」)の姿を説く。 本書は、原始キリスト教の諸文献におけるユダの描かれ方を追い、その変容と実情を解説したものである。キリスト教における「裏切者」「背教者」の代名詞として有名なイスカリオテのユダではあるが、その描かれ方は正典四福音書内においても差異がある。著者は各文書におけるユダの描写を丹念に抽出し、それぞれの作者(ひいては、それらを聖典とした初期教会)がユダをどう捉えていたのかを考察している。また、本書の巻末には石原綱成氏による『ユダの図像学』を収録し、古代~中世の美術作品におけるユダ像の実態を紹介している。 著者は四福音書のユダ記述を突き合わせることによって、時代が下るにつれて(他の使徒たちが理想的に描写される一方)ユダが「悪魔視」されていく傾向にある点を指摘、逆に成立が最も早いと考えられている『マルコによる福音書』においては、復活後イエスと再会する"十二"使徒の内にユダが含まれている(=ユダの裏切りの罪はイエスを見捨てた他の使徒の罪同様許されている)可能性が示唆されていると主張する。各福音書におけるユダ描写の差に着目したこの主張はなるほどと思い、イメージの時代的な変遷という意味でも面白く感じられた。ただ他の論点については(資料が元々限られていることもあり)憶測を投げっぱなしにしている箇所がいささか目立ち、それらを踏まえた「歴史のユダ」の復元像についても根拠に乏しいのではないかと思うのが正直な点であった(特にユダのイエスに対する「愛憎関係」、裏切りに対するイエスの「(呪詛を伴うような)憎悪」など)。また著者は総論として「正統的教会は自らの罪をもユダに負わせ、彼をスケープゴートとして教会から追放した」としているが、この「自らの罪」というのもいささか唐突に出てきた論点のように感じられた(恐らくは使徒の内から背教者を出したという「負の遺産」のことを指しているのであろうが、だとしてもそれがそのまま「教会の罪」となるかと言われると疑問である)。
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