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戦争をしない国 明仁天皇メッセージ

矢部宏治(著者), 須田慎太郎

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 小学館
発売年月日 2015/06/01
JAN 9784093897570

戦争をしない国 明仁天皇メッセージ

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商品レビュー

3.7

12件のお客様レビュー

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2022/09/10
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※このレビューにはネタバレを含みます

平成の明仁天皇のメッセージや行動を矢部宏治氏が戦後の象徴天皇として考察しまとめたもので、写真は須田慎太郎氏 (出版当時平成27年標記のままで載せます) 天皇としての覚悟や苦悩、慰霊の旅沖縄、国民の苦しみに寄り添う行動、近隣諸国へのメッセージ、美智子皇后との歩みなど美しい写真とともに歌や言葉を載せている 皇太子時代に47都道府県訪問、即位後も強い希望で2003年鹿児島訪問をもって15年間で47都道府県すべて訪問 人々の幸願ひつつ国の内めぐりきたりて十五年経つ(2004、歌会始) 短歌だけでなく沖縄へ心を寄せた琉歌は何度読んでも心を打たれる 琉歌は八八八五で詠む琉球王朝来の伝統的歌の形式 花ゆうしゃぎゆん(花を捧げます) 人 知らぬ魂(人知れず亡くなった多くの人の魂に) 戦ねらぬ世ゆ(戦争のない世を) 肝に願て(心から願って) (魂魄の塔、1975) 疎開児の命抱きて沈みたる船深海に見出だされけり (明仁天皇、1997) 我もまた近き齢にありしかば沁みて悲しく対馬丸思ふ (美智子皇后、2014) (対馬丸記念館、2014 沖縄10度目の訪問) 原爆のまがを患ふ人々の五十年の日々いかにありけむ(広島、1995) 大いなるまがいのいたみに耐へて生くる人の言葉に心打たるる(東日本大震災、2011) 今ひとたび立ち上がりゆく村むらよ失せたるものの面影の上に(美智子皇后、東日本大震災、2012) 患ひの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし(水俣、2013) 1995年8月15日(11歳)の作文 「いまは日本のどん底です。(略)つぎの世を新日本建設に進まなければなりません。それもみな、私の双肩にかかっているのです」 天皇職業性という根本的に改革する意志を持って皇居を開放して大衆向けの公園として使ってほしい、街の中に住みたいと語っていたらしい。 A級戦犯の起訴は1946年4月29日昭和天皇誕生日、絞首刑宣告の処刑は1948年12月23日明仁皇太子の15歳の誕生日。 1948年はドイツ、イタリア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアなど欧州敗戦国の王室はすべて廃止された。日本だけ王室が残された意味。 1975年7月17日(41歳)明仁皇太子が初の沖縄訪問時「ひめゆりの塔事件」 天皇に対する沖縄の怒りは「沖縄が本土防衛のために捨て石にされた」米軍上陸の時に日本軍攻撃はなく本土決戦まで時間稼ぎの「出血持久戦」多くの住民民間人を犠牲となり自分たちだけが米軍攻撃の盾とされた沖縄戦、戦後米軍統治下に残したままでの「独立」という二度目の裏切りによりさらに高まる ひめゆりの塔の前で火炎瓶を投げられたが、スケジュールを変えず着替えず魂魄の塔へ 摩文仁の丘 くろしお会館で遺族代表との面会 魂魄の塔は「ひめゆり学徒隊」で二人の娘を失った金城和信氏が建立 戦後、遺骨の収集や慰霊は反米的抵抗活動を生み出すからと厳しく禁止していた米軍透谷を命がけで説得 軍人も民間人も日本兵も米兵もわけへだてなく身元不明の戦死者すべての遺骨を収集した沖縄で最初の慰霊碑 この事件後沖縄有識者への調査にて人々の想いの着地点として無意識の共同作業がなされたのではないか 「摩文仁」の琉歌 上記の体験をよんだ ふさかいゆる 木草めぐる戦跡 くり返し返し 思ひかけて(深く生い茂る 木草のあいだをめぐった 戦争の跡に何度も何度も 思いをはせながら) 「平和の礎」への琉歌(1995年) 沖縄のいくさに失せし人の名をあまねく刻み碑は並み立てり 第二次世界大戦中魚雷攻撃で撃沈した学童疎開船対馬丸の事件概要説明時 「護衛艦は救助に向かわなかったのですか」(実際は救助せず護衛艦は全力で逃げた)「みんな、ぎりぎりいっぱいだったんですね。本当にいたわしいことですね」 「私は子どものころから、沖縄慰霊の日、広島や長崎への原爆投下の日、そして終戦記念日には、両陛下とご一緒に黙とうをしており、その折に、原爆や戦争の痛ましさについてのお話を伺ってきました(略)両皮下から伺ったことや自分自身が知っていることについて、愛子に話をしております」(徳仁皇太子、2015) 初夏の光の中に苗木植うるこの子供らに戦あらすな(美智子皇后、1995)

Posted by ブクログ

2020/02/09

大戦の映画を何本か観たところ、天皇のことが気になってきたので読んでみた。 立場を受け入れる態度だけでも、計り知れないものがある。 短歌、心にしみた。

Posted by ブクログ

2017/08/24

疎開先の日光から戻った東京の街は一面の焼け野原だった。 小学生であった今上陛下と、1歳年下の美智子皇后陛下は 共に先の大戦をご存じである。 だからこそ、おふたりの折々のお言葉には平和への願いが込め られている。それは日本一国のみの平和ではなく、全世界が平和 であること...

疎開先の日光から戻った東京の街は一面の焼け野原だった。 小学生であった今上陛下と、1歳年下の美智子皇后陛下は 共に先の大戦をご存じである。 だからこそ、おふたりの折々のお言葉には平和への願いが込め られている。それは日本一国のみの平和ではなく、全世界が平和 であることへの願いなのだと感じる。 東日本大震災発災後、今上陛下は異例のビデオメッセージを 発表された。「平成の玉音放送」と言われたお言葉は心に沁み るような、温かで、安心感を与えさえした。 大きな自然災害が発生した時だけではない。皇太子時代から 沖縄県と沖縄の人々にお心を寄せられているのは、父上である 昭和天皇が強く願いながら果たせなかった沖縄訪問を、今上陛下 が担っているからだろう。 あの「ひめゆりの塔事件」で過激派から火炎瓶を投げつけられて 以降も日程を変更せず、当日には夜中までかかって沖縄県民に 向けて自らのお言葉をお書きになり発表されたことでも分かる。 今上陛下だけではない。陛下に寄り添う皇后陛下も陛下のご意思を 汲み、ご一緒に「国民と共に」と言う「平成の皇室」の在り様を模索され て来た。 被災地へ、高齢者施設へ、福祉施設へ、海外への慰霊の旅へ。 両陛下のお姿こそ「声なき人々に寄り添う」のもっともたるものでは ないだろうか。 本書は昨年の発行だが、それまでの天皇皇后陛下のお言葉や御製・ 御歌を通して、平和を希求されるおふたりのお気持ちを記している。 だが、両陛下のお言葉・御製・御歌を安倍政権批判に利用している のではないだろうか。その点が残念だ。 どのような状況でのお言葉・御製・御歌であったのかの解説だけで 充分だったと思うんだよね。添えられている写真もイメージだしね。 出来れば両陛下のお写真を掲載して欲しかった。 なゐ(地震)をのがれ 戸外に過す人々に  雨降るさまを  見るは悲しき        天皇陛下御製(阪神・淡路大震災) 大いなる まが(禍い)のいたみに 耐へて生くる 人の言葉に 心打たるる           天皇陛下御製(東日本大震災)  今ひとたび 立ち上がりゆく 村むらよ 失せたるものの 面影の上に 皇后陛下御歌(東日本大震災) 両陛下の御製・御歌は何度の読み返してしまうのだよね。そして、上記に 引き写したような、自然災害に対する御製・御歌は詠むたびに胸にジンと 来る。 本書も著者の思想を排して、両陛下のお言葉・御製・御歌だけで構成すれ ばよかったのにね。両陛下を著者自身の思想の為に利用してはいけません。

Posted by ブクログ

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