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穂高に死す ヤマケイ文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 山と渓谷社 |
| 発売年月日 | 2015/06/01 |
| JAN | 9784635047838 |
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穂高に死す
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商品レビュー
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遭難した登山家たちのエピソードを通じて、冬山高峰登攀の歴史とその背後にある人間の愛情や悲劇が描かれています。著者は、自らも登山に親しんだ経験を持ち、明治から昭和にかけての遭難事例を収集しています。特に、戦前と戦後での遭難の違いについて考察し、登山ノウハウや訓練の変遷が、戦争の影響で途切れたことを示唆しています。山を愛し、深く理解しようとした登山家たちが、時にはその愛情ゆえに山に取り込まれる様子が描かれ、感慨深いものとなっています。また、登山家の遺書や山岳画家の情熱も取り上げられ、登山の魅力と危険性が交錯する様子が伝わります。全体を通じて、山への狂気的な愛情と遭難の悲劇が織りなす深い物語が展開され、読者に強い印象を残します。
※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。
穂高岳への登山を予定しており、せっかくなので穂高に関わる本を読んでみようと思い、読んだ。 先日読んだ『明解 日本登山史』が、タイトルどおり網羅的な歴史だとするならば、この本は近代登山史を死者の側から描いた、いわば登山会の負の側面を描いた本ともいえる。これらは表と裏の関係では...
穂高岳への登山を予定しており、せっかくなので穂高に関わる本を読んでみようと思い、読んだ。 先日読んだ『明解 日本登山史』が、タイトルどおり網羅的な歴史だとするならば、この本は近代登山史を死者の側から描いた、いわば登山会の負の側面を描いた本ともいえる。これらは表と裏の関係では必ずしもなく、登山の歴史は遭難・死の歴史としての側面が大きいことを感じさせる。 この本は、あらすじだけ聞けば山岳遭難の本にも見えるが、山に魅了された人たちの焼け付くような思いが、死という表現に至ったかのような切実さがある。山で死ぬのは失敗だし、沢山の人に迷惑がかかるし、今回書かれた山行には明らかな判断ミスもあったりする。それでも、「山で死ねたら本望」的な心が、幾らかの登山家の心中に巣食っていると考えるには十分な内容だった。 解説にある「皮肉っぽく言えば、遭難(死)がなければ、山登りはたんなるスポーツ・旅行の一種となってしまい、いささかもの足りぬかもしれない。」の一文は、登山が死を内包した行為であることを明らかに示している。山で得られた達成感の裏には、そうしたリスクが前提になっていると感じる。それを含めて山を愛する人の物語であるからこそ、本のタイトルも、『穂高「で」死す』ではなく『穂高「に」死す』なのだろうか。 もちろん、一人息子を失う母の心情だったりも書いてあり、死ねたら本望ではないのだけど。 短篇ながら筆の勢いがあり、読んでいて胸の熱くなる思いを何度もさせてもらった。 大島亮吉の 「登山者は老ゆるにしたがって、現実の山登りよりはなれて浪曼的におのれが所有する山登りの回想のたのしみをそのおのおのの山のふもとに於て求めようとする。おそらく幸福なる彼れらはその想い出ふかき峰のすがたの前にしづかに座して彼れらの最後の夕映までをたのしもう」(「北尾根に死す」より) という一文が良かったな。
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本人も登山に親しみ、井上靖の名作「氷壁」の資料提供者の一人でもあった安川茂雄がものしたドキュメント。 遭難した山男たちのエピソードを集めたうち、明治~昭和、終戦後までの、日本の冬山高峰登攀黎明期の中にあって穂高で起こった遭難を扱っています。 中には加藤文太郎など著名な山男の記録も...
本人も登山に親しみ、井上靖の名作「氷壁」の資料提供者の一人でもあった安川茂雄がものしたドキュメント。 遭難した山男たちのエピソードを集めたうち、明治~昭和、終戦後までの、日本の冬山高峰登攀黎明期の中にあって穂高で起こった遭難を扱っています。 中には加藤文太郎など著名な山男の記録もあり、彼の「単独行」読書の前に触れられたのはよかったと思います。 印象としては、WW2の戦前と戦後では(戦後の遭難エピソードは少ないので比較しづらいことは確か)、遭難の内容がちょっと違うということ。 著者も本文中に書いているけれど、高峰登攀についての基礎訓練・心構えなどが違うこと。 おそらく、一つずつ積み上げてきた登山のノウハウや訓練の仕方が、経験者らの戦死や戦後の学制改革で途切れてしまったことが原因の一つ。 ここでも戦争の悲劇の一端が見える気がします。 少し変わったところでいえば、山岳画家の茨木猪之吉。 登ることと絵を描くことの違いがあるとはいえ、山への狂気的な愛情は登山家にも劣らない凄まじさでした。 「一登山家の遺書」の松濤明の人柄と遺書はドラマチックすぎて涙が止まりませんでした。 亡くなった登山家たちは山を愛し、山を深く理解しようと努め、何度も窮地をくぐりぬけて来ても、ある時にふっと山に取り込まれてしまう。 ここまで山男たちの愛が深いのを知らされると、愛した人間だからこそ山はその腕に抱きこんでしまうのかと思わざるを得ません。 『山で死んで幸福だ』と思い込みたい妄執。 著者のこの一文で、やはり遭難は悲劇だとしか思えませんでした。
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山に行ったことのある人ならば、単独で山に入ったことがある人ならば少なからず「これはマズい状況なのでは?」という経験はあるのではないだろうか。 ガスっている雪渓を降るこの先に、もしかしたら巨大な氷穴があるかもしれない。 どうやって降りるんだ。 とにかく情報量の少ない中で行動を選択し...
山に行ったことのある人ならば、単独で山に入ったことがある人ならば少なからず「これはマズい状況なのでは?」という経験はあるのではないだろうか。 ガスっている雪渓を降るこの先に、もしかしたら巨大な氷穴があるかもしれない。 どうやって降りるんだ。 とにかく情報量の少ない中で行動を選択しなければならない時がある。 巻末に書かれているように登山黎明期と現代ではあまりにも状況が違う。 まぁいいや、あの尾根を歩いた日々もあの国境越えた夜もずいぶん昔のことになってしまった。まぁいいのだ。
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