- 中古
- 書籍
- 書籍
遊びの社会学
定価 ¥1,320
770円 定価より550円(41%)おトク
獲得ポイント7P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 世界思想社 |
発売年月日 | 1977/04/30 |
JAN | 9784790701637 |
- 書籍
- 書籍
遊びの社会学
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
遊びの社会学
¥770
在庫なし
商品レビュー
3.5
2件のお客様レビュー
「オカルティズムが軽やかに楽しまれる文化的消費財として広く流通しうるのは、私達が暗黙のうちに科学の権威を認め信じているからだ。たとえば、星占いの好きな若者たちも、決してそれに支配されているわけではない。占いからシリアスで苛酷な要素をぬきさるには科学の力が必要である。科学や合理主義...
「オカルティズムが軽やかに楽しまれる文化的消費財として広く流通しうるのは、私達が暗黙のうちに科学の権威を認め信じているからだ。たとえば、星占いの好きな若者たちも、決してそれに支配されているわけではない。占いからシリアスで苛酷な要素をぬきさるには科学の力が必要である。科学や合理主義への信頼なしに占いを「遊ぶ」ことはできない」 「遊び」とか「遊戯」という概念が最近ずっと面白いなと思っている。遊びに関しては様々な定義(どこまで含めるのかとか)があるわけだけど、こと宗教においての「遊び」というのはこの引用の考え方がわりかし自分の考えと近い。「遊び」というのはつまるところ箱庭の中で許された自由であり、言い換えれば箱庭を乗り越えない美学なのだ。 そこにある哲学は、「世界にはなんら影響を及ぼさない、だからおまえも私達に対して介入してくるな」とでも表現できるだろう。そして、それは再び村社会化(最近の言葉でいえばムラムラ)する現代社会の反映であり、個人主義の反省からくる村社会化の倫理学なのだと思う。
Posted by