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大正天皇 朝日文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 朝日新聞出版 |
発売年月日 | 2015/04/01 |
JAN | 9784022618276 |
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大正天皇
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商品レビュー
3.6
7件のお客様レビュー
大正天皇に光を当てた本としては評価出来るとしても行幸・行啓の記述が多い。「皇后考」と違って著者の深読みのし過ぎがないので読めるのだろう。 色々な本を深読みし過ぎて?「根拠のない逸話の数々が、まことしやかに語られている」のは同著者の「皇后考」のような本だ。以前に権藤四郎介の「李...
大正天皇に光を当てた本としては評価出来るとしても行幸・行啓の記述が多い。「皇后考」と違って著者の深読みのし過ぎがないので読めるのだろう。 色々な本を深読みし過ぎて?「根拠のない逸話の数々が、まことしやかに語られている」のは同著者の「皇后考」のような本だ。以前に権藤四郎介の「李王宮秘史」の復刻版の解説を書いた時に四郎介が権藤成卿の実弟(それ以前に権藤成卿の存在すら?担当編集者も知らなかったらしいので自社で刊行した「権藤成卿」を参照すればいいのに)と知らなかったらしく正体不明な人物と決めつけていたので、「椿の局の記」なる関屋貞三郎の経歴や宮中での女官の呼び名を知っていれば気がつきそうな「盛っている」本を嬉々として使うのだろうか?何でも「岩波 天皇・皇室辞典」で、あれほど皇室について書いているはずの保阪正康が三笠宮についてデタラメな事を書き飛ばした時に一緒に三笠宮邸に呼び出された時しか皇族には会わないそうだが。
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原武史による大正天皇の研究書。著者らしく、鉄道や行幸を丁寧に追うことで、ありありとした皇太子時代の雰囲気がとても良く伝わってくる。 また、それに対になるように、前後の明治と昭和との違い。その時の大正天皇を取り巻く政治的な思惑。それぞれの声を拾い上げて、イメージを作り上げるのは大変...
原武史による大正天皇の研究書。著者らしく、鉄道や行幸を丁寧に追うことで、ありありとした皇太子時代の雰囲気がとても良く伝わってくる。 また、それに対になるように、前後の明治と昭和との違い。その時の大正天皇を取り巻く政治的な思惑。それぞれの声を拾い上げて、イメージを作り上げるのは大変興味深い。
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大正天皇の評伝 大正天皇と言えば、病弱だったという事と晩年は後の昭和天皇が摂政を務めたという事ぐらいしか知らない あと、EXILEにいても違和感のなさそうな御真影とかねw 「遠眼鏡事件」もこれを読んでそんな事があったのかと知った そんな病弱で精神的に問題があったというイメージ...
大正天皇の評伝 大正天皇と言えば、病弱だったという事と晩年は後の昭和天皇が摂政を務めたという事ぐらいしか知らない あと、EXILEにいても違和感のなさそうな御真影とかねw 「遠眼鏡事件」もこれを読んでそんな事があったのかと知った そんな病弱で精神的に問題があったというイメージも後付で作られたもので、大正天皇の実像に迫るという論旨になっている ただ全部読み終わっても、結局は幼少期は病弱で、大人になってやっと落ち着いたけど践祚してからはまた体調を崩し、天皇として資質に欠けた人物という印象は拭えなかった 後にも先にも大正天皇の評伝は珍しいらしい それは、大正天皇がある意味でタブー視されている存在である以上に、人物像を掘っても「面白くない」のもあるんじゃなかろうか?とも思った 偉大な明治天皇のようには振る舞えなかった だからこそ、後の昭和天皇の教育方針や権威付けの成立に反面教師として周囲の意識に大きな影響を与えたという意味で、近代天皇制を語る上では必要な人物に思える 言い換えるならば、皇室に生まれてしまった病弱な凡人が唯一の後継者だったという、皇室の転換期の物語 かな 側室の子として生まれ、家臣の家で育てられ病気を繰り返した幼少期 病気による授業の中断により学習の遅れ 気心の知れた有栖川宮が教育係の東宮輔導に就いてからは、教育よりも健康を優先するようになったため以前よりはましになる 気晴らしと教育の遅れの補完のために各地に微行を行う事でより健康に 皇太子としての権威を示すより、自分の興味の赴くまま口を開き予定を変更するような軽率さ 大人になって行った行啓でも軽々と口を開く 4人の皇子(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)の父としては子煩悩の側面 形式的には一夫一妻制をとった(実態としては女官に手を出してたようだが……) 明治天皇が崩御されて践祚した後、以前と同じように窮屈な生活のため体調を崩しがち 政務を行えなくなったため、本人の意思に反して周囲が摂政を置くように画策 後の昭和天皇の権威付けのための印象操作 国体として強い権力の象徴であるべき天皇でありながら病弱という事態に対し 皇室の権威を維持するために、周囲が摂政として皇太子を祀り上げていく過程で作り上げられた近代の天皇制というのがよくわかる ただ、その過程は一次資料は示されているものの、著者による憶測が多分に入り込んでいるため信憑性に欠ける 明治、大正、昭和と行われた行幸、巡幸、行啓、巡啓 それぞれの時代により意図が異なる 明治天皇の場合は、江戸から明治への転換による混乱を収めるためのもの 昭和天皇の場合は、国家主義の象徴として では、大正天皇の場合はどうだったかというと、学習の補完、体調管理の一環、本人の要望等という印象を受けた また、地方のインフラ整備にも寄与したというのも面白い側面だと思う やはり、最後まで読んでも「凡庸だったんだなぁ」という印象は覆せない その分、昭和天皇の評伝を読みたくなった
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