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現代語訳 方丈記 岩波現代文庫 文芸259
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2015/03/01 |
JAN | 9784006022594 |
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商品レビュー
3.6
7件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
学校の授業でタイトルだけ習った本。しかも社会で習ったのか国語で習ったのか全く覚えてない。まさか自分が読むことになるとは! 鎌倉時代に書かれた本で、800年前くらいらしい。 前半は天災が起こった時の事が書かれててリアルやった。時代や価値観が変わっても変わらないものがあるのってすごいなーと。 後半は山での暮らしの話。 文章がとても美しく、自然と生きる事に憧れがあるので、ちょっといいなと思った。
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⑥ 開始:2023/2/6 終了:2023/2/10 感想 世の無常。それを嘆いているわけではない。そんな世の中の理に心を動かす自分を嘆いているのだろう。もう少しだけ非情に生きられたなら。
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たしか、中学の時に教科書で習ったはずだった。災害文学として、評価されなおしているので読んでみた。『方丈記』は和漢混淆文による日本の三大随筆の一つで、1212年に京都で書かれている。 今から、800年ほど前に書かれている。 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よど...
たしか、中学の時に教科書で習ったはずだった。災害文学として、評価されなおしているので読んでみた。『方丈記』は和漢混淆文による日本の三大随筆の一つで、1212年に京都で書かれている。 今から、800年ほど前に書かれている。 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどもに浮かぶうたかたは、かつ消えかつむすびて、久しく止まりたるためしなし。世の中の人とその住居も、思えばそれと似たようなもの」とはじまる。卓越した編集能力だ。 川の流れと泡を見立てて述べているが、川から海、そして、水蒸気、それが雨になり川に注ぐ。他へず変化する循環型自然を述べている。 本書には、鴨長明が経験した災厄が書かれている。1177年の京の大火、1180年の竜巻、1880年の福原遷都、1181年の飢饉、1185年の大地震。読みながら、運慶の活躍した時代と同じだ。1180年の奈良が舞台であった興福寺、東大寺、大仏の焼き討ちのことは、書かれていない。1185年には壇ノ浦の戦いで平家が滅亡し、1190年には源頼朝が征夷大将軍に任じられた時代だ。 鴨長明の記述は、その頃の京の民の深い観察がある。 身の丈にあった生活。わずか一丈四方の小さな小屋で50歳代から書き上げた。 朝死ぬ人がいれば、夜に生まれてくるものがいる。人間の一生は水の泡のようにはかない。 死んだらどこにいくだろうか?と常々考えていた。 大きな住まいもいるのだろうか。朝顔と露の関係に似て、いずれ花もツユも消え去る運命にある。花とつゆは無常を競い合っている。 記憶をたどりながら、書いているのは、58歳の時だった妻子には逃げられ、両親は亡くし、たった一人の生活をしていた。 1177年4月28日に大火の災を受ける。その時鴨長明は23歳だった。今日の都の中心、朱雀門、大極殿、大学寮、民部省は燃えてしまった。都の3分の1は消失した。どんな立派な家も燃えて消えてしまった。多くの人が死んだ。人の命ははかない。 1180年4月29日 京の町に竜巻(辻風)が。門、垣根、屋根、車が、ことごとく弾き飛ばされた。怪我するものが多かった。 1180年6月、帝のいる都を福原に遷都することで、路頭に迷う人が多くいた。嵯峨天皇の代から400年続く平安京を捨てた。平清盛の仕業。これは、人災だ。それまで趣のあった牛車の移動が、馬によって移動している。利便性の追求はいかがなものかと鴨長明はいう。わずか半年で、平安京に戻ることになった。愚かなことだ。 1181年 日照り、大風、洪水がつづき、五穀が実らず、飢饉が襲ってきた。京の街は、地方の田舎の農地に支えられているが、送られるものがなかった。行き倒れた人、死体は朽ち果て死臭が漂う。親は子供を大切に思い、親は食べずに子供に与え、親が先に死んでしまう。死んだ母親の乳房を吸う赤ん坊の哀れさを見る。「そむくべき憂き世にまどふ心かな 子を思ふ道はあわれなりけり」と読む。この頃に妻子に愛想を尽かされ、逃げられた。 1185年8月6日 京都大地震があった。京都岡崎地区の巨大寺院群が壊滅的被害を受けた。震度7.4の地震だった。京都も地震で壊滅した時があったのだ。大きな津波も押し寄せたという。遊んでいた子供に土塀が崩れて押し潰されて、目玉が飛び出ていた。余震は3ヶ月ほど続いた。 鴨長明の生きている間に、災厄に見舞われた。「この世はとかく生きづらい」 隣人と比較したり、人里離れたところに住めば、ちょっとした用事でも1日かかってしまう。 どんなところに住み、どんなことをすればいいのか。 それが、方丈の小屋で生きていくことでいいのだ。身の丈にあった生き方をすればいい。 藤の花が咲き、ホトトギスの声を聞き、ひぐらしの声が辺り一面に、雪が積もり消え、心のままに生きればいいのだ。四季の移り変わりを味わうことで、世界の奥深さを知る。多くを求めず、あくせくもしないで、ただ穏やかでいることを望む。それでも、執着の心があるが故にこの書を書いたのだ。 ふーむ。災厄にあって、自分の生き方をシンプルに、穏やかに生きるというのが肝要。 あらためて、日本人は数々の災厄を乗り越えて、今日に至っているのだなぁ。
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