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神学の思考
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 平凡社 |
| 発売年月日 | 2015/01/01 |
| JAN | 9784582717174 |
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神学の思考
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商品レビュー
3.8
6件のお客様レビュー
カール・バルトやフロマートカをはじめ、現代のプロテスタント神学がどのような問題意識を持っているかを知ることができる。本書には、モルトマンやパネンベルクなど、他の神学入門書とは異なる切り口が多く見られる。
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山口周さんとの対談で本書が紹介されていたため図書館で借りてみた。宗教史やバイブルについて学んだことはあっても、「神学」には触れたことが無かったため新鮮だった。 「神学」は「神」という、人間からは働きかけられない・捉えられない存在を、少しでも把握しよう・近づこうとする試み。不可能へ...
山口周さんとの対談で本書が紹介されていたため図書館で借りてみた。宗教史やバイブルについて学んだことはあっても、「神学」には触れたことが無かったため新鮮だった。 「神学」は「神」という、人間からは働きかけられない・捉えられない存在を、少しでも把握しよう・近づこうとする試み。不可能への挑戦。聖書も一見すると矛盾するような物語が繰り広げられるが、それは我々が完全ではないから。そのために様々なアプローチが試みられる(三一論など)。内容は難解、というか根気が要るが、まさに「神学論争」という、こういった学問もあるのだと勉強になった。
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僕は無神論者なので、批判的に見ますけれど とても丁寧に神学というものをどう考えているのかを説明していたと思います。 ・キリスト教は、救済を目的とする宗教です。より正確に言うと、「真の神であり真の人であるイエス・キリストが唯一の救い主である」ことを信じることによって救われる宗教で...
僕は無神論者なので、批判的に見ますけれど とても丁寧に神学というものをどう考えているのかを説明していたと思います。 ・キリスト教は、救済を目的とする宗教です。より正確に言うと、「真の神であり真の人であるイエス・キリストが唯一の救い主である」ことを信じることによって救われる宗教です。救済は、人間にとって、主体的な問題です。キリスト教の場合は、神からの人間に対する呼びかけにどう答えるかが、問題の核心になります。それだから、キリスト教について、純粋に客観的なアプローチはありません。主体的な参与(コミットメント)を必要とする事柄に関して、純粋客観的な記述をするというこおとは、範疇(カテゴリー)が異なるので不可能です。 ・日本では、キリスト教が近代主義と親和的で、知的な宗教であるという印象があります。これは、現代に影響を与えている日本のキリスト教が、明治期以降、日本の近代化の過程で導入されたからです。このキリスト教は、啓蒙主義の嵐をくぐり抜けて、近代的な世界観と折り合いをつけることに成功したキリスト教です。もっともキリスト教が啓蒙主義とつけた折り合いは、表面的なレベルにとどまり、神学的に深く考察すると、キリスト教は人間の理性と衝突します。キリスト教は、人間が原罪を持っていると考えます。それですから、人間が造りだした文化や社会制度に肯定的価値を付与することは、根源においてできないのです。 ・キリスト教は人間の良心に積極的な価値を付与しません。両親は、人間の内部の力によって担保されているのではありません。あくまでも外部からの、神の啓示によって人間の良心が呼び出されるのです。神からの召命を抜きに人間の良心は成立しません。 ・バルトは、日常的に教会に通うキリスト教徒を、語りかける第一義的対象者と考えました。こういうキリスト教徒に対して、資本主義社会の小市民的な文化と福音を混同してはならないとバルトは警鐘を鳴らしました。しかし、教会の外側の人は、バルトにとっては第二義的な対象に過ぎませんでした。このようなバルトの姿勢に私は物足りなさを感じるのです。 ・私は、「神はどこにいるか」という問題を学術的に解決することはできないと思っています。神は、人間と人間の関係において見出されるのです。具体的な人間と人間の関係で「上にいる神」を実感するというアプローチをとるしかないと思います。言い換えると、人間が他者に奉仕する過程において神を知るのです。
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