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織田信長 ちくま新書1093
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2014/10/08 |
JAN | 9784480067890 |
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織田信長
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商品レビュー
3.8
6件のお客様レビュー
趣味のラノベ書きです。 転生もので織田信長を登場させようと思い、キャラ作りのために読み始めました。 元々、通説のフワッとした信長像しか持っていなかったので、簡単に本書の「新説(信長は天下狙っていなかった)」に納得してしまいました。 唯一疑問が解けなかったのは、p121「本能寺...
趣味のラノベ書きです。 転生もので織田信長を登場させようと思い、キャラ作りのために読み始めました。 元々、通説のフワッとした信長像しか持っていなかったので、簡単に本書の「新説(信長は天下狙っていなかった)」に納得してしまいました。 唯一疑問が解けなかったのは、p121「本能寺の変の直前には四国の長宗我部氏にまで軍勢を送ろうとしたのは一体なぜなのか」と疑問の提起だけはれていて、(見落としているだけかも知れないが)武田攻めや毛利攻めはともかく、四国の長宗我部を攻める意味は本書の説明ではあまり納得できず、それこそ天下統一の野望的な理由以外にないのでは?と思えてしまったこと。 明智光秀の裏切りの理由は分かっていないそうですが、たくさんある説の中に「四国の長宗我部を攻めることに反発」というものがあるそうです。 神田氏とはまた別の学者さん(金子拓氏)が「信長にはそもそも天下統一の野望がなかったが、四国攻めの時点で初めてその野望を抱き、その『ご乱心』に光秀が奮起した」という説を書かれていて(今手元になくてうろ覚えですが)私にはそれが有力な説に思えています。今のところ。 こんな風に「当たり前」とみんなが思っていた信長像が、実は違ったのかもという話を読めるのは、知的好奇心が刺激されるし、とても面白いです。 相変わらず野心的で独創的な信長が描かれている漫画などを見るたびに「本当は違うかも知れないのにみんな通説に『洗脳』されてる」と複雑な気持ちにもなりますが。 子供向けの絵本の信長は、宣教師から地球儀を貰って、それを触りながら「いつか世界征服」とまで描写してるのですから、「こうやって野心的な信長像を我々は思い込まされていたのだな。全くのデタラメだとしたら、本当に罪作りだな」と思います。。 本書発売から10年近く経ちますが、なかなか覆らないものですね。 ちなみに、そもそも読み始めた動機である、小説に登場させようとしていた信長は、こちらの「新説」を採用することにしました。 「信長が天下狙ってなかったわけないじゃん。宗教も天皇も将軍も、全部自分より下のものとして見ていたに決まってるじゃん」みたいな感じの信長像は、簡単に覆らなさそうですが、私はあくまで創作しているに過ぎないので、信長像の論争には巻き込まず、見逃して欲しいなと都合の良いことを思っています(苦笑)。
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最近は歴史の研究が進んでいる様で、学会内の発表で終わらせるのではなく、書籍化して多くの人が知ることができるようになっていることは歴史好きの私にとっては嬉しい限りです。 この本のテーマは織田信長です、革命児とか日本全国の統一の野望の持ち主であると学校でも教わってきましたし、数多く...
最近は歴史の研究が進んでいる様で、学会内の発表で終わらせるのではなく、書籍化して多くの人が知ることができるようになっていることは歴史好きの私にとっては嬉しい限りです。 この本のテーマは織田信長です、革命児とか日本全国の統一の野望の持ち主であると学校でも教わってきましたし、数多くのテレビドラマもそのような人物像で描かれてきました。 しかしこの本では、そうでは無くて別の姿があり得ると解説しています。人物像は信長が死んでからかなり経過してから決まったのだとされることを聞いたことがある私にとって、その具体的な姿を想像することがこの本でできたように思います。 以下は気になったポイントです。 ・1575年、信長は参内して大納言、右大将に任官された、無官の信長をいきなり大納言にするわけにもいかず、朝廷では前年に遡ってまず参議に任じたことにして、この年にさせたものとされている。この年に首尾良く「公家」になったものと思われ、この前後より、家臣たちは「殿様」という信長への呼称を改め「上様」と呼ぶようになった(p68) ・将軍足利義昭については、織田信長は将軍の権威を少なくとも否定しようとはしなかったし、天皇の権威についても同様に見ることができる。巷で言われているのとは逆に、信長は伝統的権威を蔑ろにするどころか、かなり気を遣っていたと思われる(p95) ・ルイスフロイスの報告書によれば、日本全土は56の国に分かれているが、その中で最も主要なものは日本の君主国を構成する五畿内の5つの王国である。それは、山城・大和・摂津・河内・和泉であり、その君主を「天下の主君」と呼ぶことが記されている。すなわち「天下」とは、京都を含む五畿内のことと認識されている(p108) ・織田信長は、足利義昭を主君として立て、自らは人臣として天皇を立てるというスタンスに徹していたと見た方が良い(p119) ・織田信長が諸大名との共存を目指し合議のもとに天下のありようを決めると宣言しているのは、従来の信長像に照らせば違和感があるかもしれないが、このような天下人の姿は当時の人々にはさして違和感のあるものではなかった(p198) ・佐久間信盛は、恥をそそぐために一戦するか、高野山へ剃髪・隠遁するかの選択肢のうち後者を選んだ、形式的には織田信長は信盛に最後の機会を与えた。信長は家臣への扱いを問題にしていて、細心の配慮を心掛けていたを見るべきようにも思える(p216) 2021年5月2日作成
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天才でも革命的政治家でもない信長像を掘り下げる。天皇や将軍や世評に気を遣いまくったからこそ支持者も多かったと思えば不思議な話でもないがメディアでの信長像を植え付けられているので違和感を感じる。 畿内を天下と見る考えも当時からしてみれば妥当だが今川義元を倒して東に向かわず京都を目指...
天才でも革命的政治家でもない信長像を掘り下げる。天皇や将軍や世評に気を遣いまくったからこそ支持者も多かったと思えば不思議な話でもないがメディアでの信長像を植え付けられているので違和感を感じる。 畿内を天下と見る考えも当時からしてみれば妥当だが今川義元を倒して東に向かわず京都を目指したところは戦略家として卓越してたのではなかろうか。
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