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模索する美学 アヴァンギャルド社会思想史
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 論創社 |
発売年月日 | 2014/06/13 |
JAN | 9784846013172 |
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模索する美学
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商品レビュー
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2件のお客様レビュー
今までに無い、本当に新しいアート(美)は可能か、を探る思索。19世紀辺りからの美学の遍歴を引用して進んでいく。 しかし引用は多岐・子細に渡り、文章も大きく脱線して進む。読んでいて辛いところがある。著者にまとめる力と解りやすく表現する能力があれば本書を半項くらいでおさめることが出来...
今までに無い、本当に新しいアート(美)は可能か、を探る思索。19世紀辺りからの美学の遍歴を引用して進んでいく。 しかし引用は多岐・子細に渡り、文章も大きく脱線して進む。読んでいて辛いところがある。著者にまとめる力と解りやすく表現する能力があれば本書を半項くらいでおさめることが出来たのではないか(しかも本書は「三部作」の一つだ)。 OBJECTを「モノ」とカタカナ書きにしたのは著者 塚原史と今村仁司のアイディア512 章Ⅲ部3章は、ベンヤミンはナチスが迫るフランススペイン国境を超えられず自殺したことになっているが、これはアレクサンドル・コジェーヴ(哲学者・実はロシアのスパイ)によって死んだか、殺された説の現代史ミステリーの章。 ソレルはペルーティエの意見に賛同して、社会改革の担い手としての役割を芸術家が果たすことに期待した383 19世紀末のモダンアート(後期印象派)は当日の現代芸術。これはブルジョアジーの知的悦楽であるだけでなく、労働者の決起を妨げ、墜落させる「搾取の共犯者」だと言われた。アナーキストでサンディカリストのペルーティエは芸術家たちに、不公平に対し怒りを表現せよ、諸君の才能を弱者に奉仕させよ、と語った380 現代に起こる様々な大混乱、トラブルは社会のシステム(民主主義)が本来的に持っている内部分泌ウィルスのようなもの。必然的に起こる。これによって自己破壊して終末を迎える。 と、考えられるがしかし、その予測は確実ではない。システムがシステム自体を攻撃する「抗体」を作り出すことがありえるから。つまり、自己破壊を免れるために、システム自ら「システム自体を攻撃する抗体を分泌する」こともあり得る。自然科学的に生命体にとって真理であることは、社会的・政治的組織体にとっても真理なのです。(ボードリヤール)328 民主主義が大衆に否定されそうになると(例えばスウェーデンがEU加盟を国民投票で否決したりしたこと)、人びとに合意を強制するような力の行使が民主主義の名によってなされる(スウェーデンは再投票され結局可決された)。これは民主主義の独裁とも言える事態だ。あるいは民主主義原理主義と言える(イスラム原理主義に対抗するため)。これは社会をかえって分裂状態に導く。(ボードリヤール)326 現在われわれは、民主主義と人権という普遍的な政治形態に関わっていると思っている。それは民主主義と人権という「脅迫」にさらされているとさえ言える。ところが、足元を見ると、対立と差異が世界中に散らばって、誰もが自分たちの特殊性を相手に認めさせようとしている(ボードリヤール)325 横尾忠則はボードリヤールが『芸術の陰謀』で現代アートを「無意味」「無価値」と主張したことに対し、「未来は芸術家にとっては無制限の聖域である」と感情的に批判。しかしこの反論は的を得ていない(ボードリヤールは他者としてアート批判をしているのではなくて、当事者(アーティスト)として発言した。しかも無意味無価値を気取るアートの陰謀を祝福した。)し、はたしてそんな「無制限の領域」なんて存在するのか258(344) 「芸術はシミュレーションによって自己を二重化しようと試みているが、やがて完全に姿を消し、巨大な美術館と化した社会や、猛威をふるう広告・宣伝に、みずからの場を明け渡してしまうだろう。(トランス・エステティック)」(ボードリヤール)252 日本ではモダンアートを近代美術、コンテンポラリーアートを現代美術と言うが、英語圏、フランス語圏では両者の違いはあまり無い。モダンアートも20世紀と21世紀のアートといことになっている244 「アヴァンギャルド猿」ー倉橋由美子の小説『聖少女』に登場する表現。安保闘争に敗北しても尚「革命家」「前衛」を気取る自己陶酔から醒めず、「革命ごっこ」から「芸術ごっこ」へとあっさり鞍替えし、自慰行為を続ける男たちのとこ151 (現在の社会は)クリエイティブなアートはもはや終わってしまい、記号的差異の限りない反復の段階が始まったのだろうか(クラークの『幼少期の終わり』の寓意に従えば)20 レディ・メイドが始まって、現在ではさらに芸術に「オリジナリティ」という幻想を要求する旧来の枠組みは問われている17
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塚原史著「模索する美学―アヴァンギャルド社会思想史」をぱらぱらと読む。 塚原先生といえばジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」の訳者のひとりで、卒業論文を書くにあたってはずいぶんお世話になった。 美学の本を書いているというのは初めて知ったけれど、シリーズ3作目にあたる...
塚原史著「模索する美学―アヴァンギャルド社会思想史」をぱらぱらと読む。 塚原先生といえばジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」の訳者のひとりで、卒業論文を書くにあたってはずいぶんお世話になった。 美学の本を書いているというのは初めて知ったけれど、シリーズ3作目にあたる本書は先生の美学研究の対象であるアヴァンギャルド芸術を涵養する「社会思想」について書かれていて、やっぱりボードリヤールのテクストからもいろいろ引かれている。 懐かしくもあり、いまだ共感するところばかりで、読み進めながら学生時代を思い出していた。 一部で「ポストモダン思想の欺瞞」などと言われて評判のよくなかったりもするボードリヤールだけれど、「消費社会の神話と構造」についていうなら、その主張はかなり素朴でわかりやすいと思っている。 誤解を恐れずバッサリ要約すると、社会は資本主義による経済成長によって物質的に満たされ、人々の消費の対象が「必要物資」から「(不要不急の)差異化のための記号」になり、人々がシンボルや偶像的価値といった時代の神話に踊らされることではじめて市場が回るようになった、という主張と読める。 その後、ボードリヤール自身これに続く著書で修正をしている部分があるようだけれど、情報化がさらに先鋭化した現代において、いわゆる「記号消費」の傾向はますます加速している。 写真に撮られ、SNSでの差異化を表象する記号(=情報)としての旅行、衣服、食事、レジャー、消費財、生活を取り巻くあらゆるもの……読書という行為すら差異化の記号なのかもしれない。まぁ、図書館で読んだので「消費」ではないけれど。 記号が消費されるためには「差異」が必要で、それはつまり「新しさ」であり「ブランド」だ。これらは実際には広告的な技巧やマーケティング活動によって、多くの場合「創造(または、ねつ造)」される。実際の物理的な価値はほとんど変わらないものが、新しさやイコンを付与されることで羨望の対象に変わる。 大衆消費の時代に私たちは、「差異」そのものが大衆化されることで新たな「差異」が必要とされるフィードバックループの中にいて、時にはそこから途方もないバブルも生まれたこともある。 だがしかし、その見せかけの「差異」の裏側が、少しづつ白日にさらされるにつれ、「新しさ」や「ブランド」の市場価値も変質してきている。それは、おそらく良い方向に。 塚原先生も、あとがきで「事実上の完了」と書いている。 「結局本書を通底するのは「新しさとは何か?」という、ごく素朴な、それでいて正解が見つかりそうにない問いなのだが二〇世紀初頭の歴史的アヴァンギャルドが「反逆」と「切断」をつうじて、「破壊」から「創造」へといたる過程で出現する「新しさ」を強調したとしても、その後の全体主義と世界戦争から地球規模の消費社会、情報社会へいたる巨大な流れの中では、「オリジナル」の一度限りですぐに古びていく新しさから「シュミラークル」(オリジナル不在のコピー)の反復・再生される記号的・情報的新しさへのシフトが進行し、事実上完了しているように思える」(p.532) 消費社会の神話はそのメッキをはぎ取られ、緩やかに死んでいくのだろうか。その時におこる経済の低体温症にたいして私たちは適応することができるのだろうか? これから先、情報がさらに自由に飛び回るようになり、一方で人口減少の局面を迎えた日本社会は、すでにポストモダンの批評を飛び越えて未知の領域に足を踏み入れつつあるのかもしれない。 ともあれ、記号消費の市場が崩壊しつつある現状を見ると、そうではない部分の消費市場(食糧、水、電気など生活に必要なライフライン)において発揮される「生産的な技術」を身につけていくことは、決して無駄ではないと思う。 坂口恭平のレイヤー思考は、不確実な時代を生き延びるための処世術。実学と人文学の接続はいつだって人類の課題だ。
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