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3.5
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名称はともかく古代朝鮮に日本人の出先機関があったのは常識で考えれば必然 あったけども当時の日本の下手くそな政治手腕のせいで失ってしまった 古代の朝鮮半島にあった任那とその地に日本人の出先機関を解説する本。古代の我々は今の我々が思ってる以上に海の向こうに雄飛していた。そのための証...
名称はともかく古代朝鮮に日本人の出先機関があったのは常識で考えれば必然 あったけども当時の日本の下手くそな政治手腕のせいで失ってしまった 古代の朝鮮半島にあった任那とその地に日本人の出先機関を解説する本。古代の我々は今の我々が思ってる以上に海の向こうに雄飛していた。そのための証拠も朝鮮半島に残されている。それが朝鮮半島の前方後円墳だ。韓国に今でも残る竹幕洞祭祀遺跡があるが、百済・大陸王朝・倭の国際的祭祀遺跡と言われているが、4世紀の遺物があるのが理に合わない。なぜなら4世紀の百済ではその地はまだ管轄外だからだ。百済が南下してくるのは500年以降とすれば、国家的祭祀場がなぜ外国にあるのか説明がつかない。そこで倭国の祭祀場だったのではないかという説を著者はとなえる。そもそも朝鮮半島に日本人居留地があるのは必然だからだ。例えば倭国は5万の兵を繰り出してきた高句麗と戦争を行ったが、これは同程度の兵士がいたことを意味する。それは5万人もの人間を食わせて生活させてあげる行政組織が無いと不可能だ。さらに兵士には家族もいる。軍のことを考えると自ずと政治、国に繋がっていく。常識で考えれば名称はともかく任那に日本府があったと考えるのは自然なのだ ところが韓国側の朝鮮に日本の出先機関などあってはならないという結論から出発する学問のせいで、広開土王碑文が日本軍に改竄されたと何の証拠もない言いがかりのせいで任那研究が数十年ストップしたり、韓国側が「韓国の前方後円墳を円墳に改竄」したり!とやりたい放題手段を択ばない妨害がなされたのでした。これは話とはずれるがつくづく民族感情というものは害悪だなと思う。民族の自尊心が満たされるなら韓国だけじゃない普遍的な価値のある貴重な遺跡を破壊してしまうぐらいに人間の心を狂わせるのだ。そもそも遺跡を民族感情から改竄するような学者と、それを批判しない日本の歴史学者など何でこっちが信用しなきゃならないんだ?好き勝手捏造してるくせにこっちには俺たちが絶対正しいから従えと上から言い出す。おれたちはまず結論を定めてその結論に合致するように遺跡ですら改竄し、その横暴についてはダンマリ決め込むが、お前らはおれたちの歴史観に従えとかなめるのも大概にしろ。考古学者森浩一の怒りの文章も載せられているが、納得の怒りだ。(これだから韓国人はとかそういう程度の低い話をしてるのではない、日本人も常々このことを肝に銘じておく必要がある)自分は朝鮮から仏教や儒教が日本へ伝えられたと聞かされても何とも思わないけど。クソッ!屈辱だ!とか思うわけがない。意味わからんっすねえホント この妨害は、こういう韓国の横暴におもねる日本側の学者の存在を抜きには語れない。任那という単語は日本の植民地統治的なニュアンスがあるので使うべきじゃないとか意味不明なことを言い出す田中俊明だったり、其の北岸の狗邪韓国に到るを倭の北方の対岸にある狗邪韓国に到着するに意味を改変し、狗邪韓国は倭に属するくにではなく、倭の北岸の対岸であるとした渡邉義浩だったり、伽耶・加羅諸国についての記述は三国史記の高句麗本紀と百済本紀には一切記載がないのに任那より伽耶諸国の汎称として相応しいといいだしたり、そもそも10以上のグループに分かれて編纂され、皇室にとって都合の悪いことも残したり異なった伝承も残した日本書紀を皇室に都合のいい書物なので信用に値しないと捨て去ってしまった愚かさたるやもう見るに堪えない(彼らは書紀を信用してないが書紀の継体天皇についての出自が怪しいなどの皇室に都合の悪い部分は都合よく書紀を持ち出している。書紀が都合のいい捏造書物なら継体天皇は最初から武烈天皇の息子ということにしとけばいい) このような日本側の愚劣な学者、戦前の日本の皇国史観をやり玉に挙げながら、自分らも同じように政治的な理由や外国の民族感情におもねって、学問をゆがめているのだ。こういったことが述べられているので、この本の評価が低いのか?と勘ぐってしまう。物事はその通りに見よ、このようであったらいいのにという希望の下で見るな。朝鮮半島南部と日本の関係を結ぶ遺跡・遺物は多く、こうした事実に基づけば古代の半島南部は日本の影響下にあったとする方が自然。さらに中国と日本と朝鮮の史書にあるがまま歴史を追えば、任那という呼称が当時の東アジアで普通に通用していたということも分かる。このあったがままの事実を捻じ曲げる方がおかしい よみがえる神武天皇といい良書が埋もれてるのがもったいないPHP 前方後円墳を円墳に改竄したことなどは「日朝古代史 嘘の起源 DNAが証明!日本人と韓国人の祖先は違った」にも詳しい
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最近娘と話していて私が学校で習ったものと異なるなと感じるものに、古代における歴史の地名等があります。その一つがこの本の題材になっている朝鮮半島に任那という日本の支配地のことで、最近は「加羅」と習っているようですが、それが任那を構成していた一つの国であったとこの本を読んで初めて知り...
最近娘と話していて私が学校で習ったものと異なるなと感じるものに、古代における歴史の地名等があります。その一つがこの本の題材になっている朝鮮半島に任那という日本の支配地のことで、最近は「加羅」と習っているようですが、それが任那を構成していた一つの国であったとこの本を読んで初めて知りました。 歴史を他の国と共有することは難しいというより不可能だと思われますので、過去に行っていたことの是非を問うよりも、歴史という本来は一つしかない事実はどうであったかをこれから歴史を学習する人には学んでほしいと思います。 以下は気になったポイントです。 ・前方後円墳の発祥国は韓国で倭国へ伝えられたという主張が破綻したのは、日本には岩手県から鹿児島県まで広い範囲で見つかっていて、かつ韓国のものよりも古いから(p28) ・沖ノ島は、縄文前期(6000-5000年前)から、ニホンアシカの再生を祈る宗教儀式が始まって以来、5000年に渡って祭祀が営まれ続けてきた。国家祭祀としては、10世紀まで宗像氏の協力を得て行われた(p32) ・朝鮮半島南部には、日本特有の墓制である前方後円墳が14基発見されていて、これは日本の影響力が半島南部に及んでいたことを示す証拠である(p58) ・奴国(福岡市周辺)が2万戸あり、57年に単独で後漢朝に朝貢し、印綬を与えられている。この時、正月の祝いに出かけて行っており、これは暦を理解して行動、また大陸と交渉するだけの文化・人材も備えていることを意味する(p95) ・任那日本府の存在は、早くて西暦200年頃、妥当な線でも370年、確実なのは390年頃からと断言できる(p131) ・541年には欽明天皇が呼びかけることで、百済の聖明王が主催して、7か国の王族が集まって任那復興会議が開かれた(p168) ・任那は532年に滅亡、今では、百済・新羅・大陸の隋や唐も滅亡したが、日本のみ生き続けている(p240) 2013年12月1日作成
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