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精神論ぬきの保守主義 新潮選書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2014/05/23 |
JAN | 9784106037481 |
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精神論ぬきの保守主義
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ヒューム、バーク、トクヴィル、バジョット、シュミット、ハイエクの6人の思想をとりあげ、解説している本です。 著者はこれらの保守思想家を、「制度論的保守主義」と呼んでいます。現代日本の「真正保守」が、日本の伝統と結びついた精神的価値を高く掲げる道徳志向的な性格を持っています。これ...
ヒューム、バーク、トクヴィル、バジョット、シュミット、ハイエクの6人の思想をとりあげ、解説している本です。 著者はこれらの保守思想家を、「制度論的保守主義」と呼んでいます。現代日本の「真正保守」が、日本の伝統と結びついた精神的価値を高く掲げる道徳志向的な性格を持っています。これに対して制度論的保守主義では、理性やその他の精神的価値に基づく設計主義を批判し、慣習的に形成される制度によって社会に安定がもたらされることの効用を正しく見積もることが重要とされます。 著者は、ヨーロッパにおいてはそのつど原点となる契約や慣習法の基本原則を参照しながら新しい制度が構築されていったことに触れ、そのことが制度論的な保守思想の形成される地盤になっていることを指摘しています。他方日本では、天皇制を除いて新しい国家体制がそれ以前の法・政治制度を明確なかたちで継承するということがなされておらず、いきおい精神論や文化論的なかたちでしか保守思想が展開されない状況にあると主張しています。 日本の真正保守の思想家である西部邁の著作では、しばしば解釈学などの成果を参照しながら保守思想の原理について考察をおこなう議論がなされていますが、そこでは伝統的な価値が守られるべきだという規範性が密輸入されているのではないかという疑念をしばしば感じてきました。そのようなこともあって、これまで保守思想の「思想」レヴェルにおける基礎づけに疑問を感じていたのですが、本書を読んでようやく保守思想の中心問題に触れることができたように思います。
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仲正昌樹さんの『精神論ぬきの保守主義』新潮選書をちょうど読み終えた。保守とは字義の通り「古くからあるもの」を“守る”思想的系譜のことだが単純にあの頃は良かったと同義ではない。本書は近代西洋思想におけるの伝統を振り返りながら、現下の誤解的認識を一新する好著。まさに「精神論ぬき」です...
仲正昌樹さんの『精神論ぬきの保守主義』新潮選書をちょうど読み終えた。保守とは字義の通り「古くからあるもの」を“守る”思想的系譜のことだが単純にあの頃は良かったと同義ではない。本書は近代西洋思想におけるの伝統を振り返りながら、現下の誤解的認識を一新する好著。まさに「精神論ぬき」です 仲正昌樹『精神論ぬきの保守主義』新潮選書は6人の思想家を取り上げる。ヒューム(慣習から生まれる正義)、バーク(相続と偏見による安定)、トクヴィル(民主主義の抑制装置)、バジョット(無駄な制度の効用)、シュミット(「法」と「独裁」)、ハイエク(自生的秩序の思想)。 6人の思想家の保守を横断すると、保守主義とは「取り戻す」ものではない。現在の社会を安定させている制度や慣習に注目し、できるだけ抽象的思考態度のラディカルさを退けていこうという透徹した現実主義。極右も極左も観念的ユートピア主義に他ならない ヒュームにはじまる保守主義とは、私たちが安定して暮らして「いる」制度を、「いける」制度へと、外側からではなく歴史的な経験を通じての内側からの改革を不断に追求するものだ。徹底して精神論を排した漸進的改革論といってもよい。 「美しい国土」や「大和魂」といった言葉も自称保守が忌み嫌う外側からの変革の抽象性と同じである。今の地平に足をつけて未来を展望するのが保守主義の「現実さ」とすれば、日本社会において、保守すべき伝統や制度や思想はあるのだろうか。今読むべき本。
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回送先:品川区立南大井図書館(KK07) 法哲学(このように区分化するのが果たして著者の思いをくみ取れているかについては再度の検討を必要とするとはいえ)あるいは近代保守主義の系譜をいまここで再整理するための試みとしての一冊。仲正が本書で「精神論」と位置付けている保守主義(自称「...
回送先:品川区立南大井図書館(KK07) 法哲学(このように区分化するのが果たして著者の思いをくみ取れているかについては再度の検討を必要とするとはいえ)あるいは近代保守主義の系譜をいまここで再整理するための試みとしての一冊。仲正が本書で「精神論」と位置付けている保守主義(自称「真正保守」。そんなものは実存しないのにもかかわらず、名乗るあたりの痛々しさのなんとおぞましいことか)の多くが保守主義を勉強していないというのはかくも有名な話であるが、冷静に近代保守主義そのものと見つめなおしたときに見えてくる風景とは何かを決して読者におもねることなく提示する。 仲正は本書において、あくまでもテクストの読解に徹する姿勢を一貫してとる。それはテクストを読解することと評論家もどきの評論を挿入することは全くの別行為であることを自覚しているからであり、こうした行為の取り違いが書き手自身の自意識過剰を高める(あるいはある種のオーガズムを煽るだけの結果になる)こともよく理解している。 評者としては、精神論抜きの保守主義(仲正はこれを「制度的保守主義」と位置付ける)、あるいは近代保守主義の受容が中途半端なものになった背景などをもう少し分量を割いてもよかったかとは思うが、それは評者自身の今後の課題(ないしは今後の関心事)でしかなく、おそらく評者自身が保守主義をキチンと勉強していないことを如実にあらわしただけのことで終わりそうな気がする。 精神の生活(これ自体はアーレントの著書のタイトルだが)を支える諸制度を置き去りにして、自分の脳内にしかない青写真の正当性だけを声高に主張しても、結局は宙ぶらりんになるだけ、という当たり前の話すら難しいのかと評者としては、嘆くほかがないのが現実である。
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