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違和感から始まる社会学 日常性のフィールドワークへの招待 光文社新書690
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 光文社 |
発売年月日 | 2014/04/17 |
JAN | 9784334037932 |
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違和感から始まる社会学
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社会学というジャンルに興味を持ち、読んでみた本。 筆者の問題意識はこのように語られている。 私が問題としたいのは、 ①「生きる」意味をつきつめる必要のない「日常」を、私たちは普段、どのように生きているのだろうか、 ②そのように「日常」を生きること自体がどういう営みなのだ...
社会学というジャンルに興味を持ち、読んでみた本。 筆者の問題意識はこのように語られている。 私が問題としたいのは、 ①「生きる」意味をつきつめる必要のない「日常」を、私たちは普段、どのように生きているのだろうか、 ②そのように「日常」を生きること自体がどういう営みなのだろうか、 ③私たちが「日常」にどのようなまなざしを向ければ、よりおもしろく生きることができるのだろうか、ということなのである。 23p 入院患者は、なぜ家に帰りたいのか?という問いに対して、ロールモデルのDrの一人である藤沼泰樹先生がこのような方をおっしゃっていた。(うろ覚えだが) 「家に帰りたいのに理由なんていらない。家で過ごすのが、その人の日常だからだ。」 「自分はなぜ生きるのか?」「生きることに意味はあるのか?」 などと哲学的に問うと、大抵袋小路にハマってしまう。 それよりも、 「自分が生きている”日常”はどのように成り立っているのか?」 と目を向けることは、贈与論的にも有用な視点なように思う。 https://bc-liber.com/blogs/06c097ec60c3 signに気づき、signを出そう:「世界は贈与でできている... こば 09/11 14:16 日常とは、サッカーボールの上に乗った卵のように不安定なつり合いであり、危ういバランスの上に成り立っている。 そのことを改めて考えるきっかけとなった本でした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (以下、メモ) シュッツの日常生活世界論 「いま、ここ」が至高の現実として最も重要。その構成要素を考える。 ■先人たちの世界 いま、ここに至るまでの先人たちの蓄積。 硬直した解釈よりも、多様な解釈の可能性に開かれるべき。 ■彼らの世界 現在は、直接的な現前の世界から「彼らの世界」までグラデーションになっている。 同じ現在でも、より出会う頻度が少なかったり、関係性が薄かったり、より匿名的な人たち。 ■同時代人の世界 自分が死ぬまでに一度も会うことのない、その意味でまったく匿名的な存在が生きている世界。 「彼らの世界」や「同時代人の世界」を理解しようとするとき、私たちは「類型的な知」を用いる。 ■未来を生きるであろう人びとの世界 まだ生まれていない世代や、子ども世代。 「あたりまえ」の執拗さと恣意性 たとえば、大学生に、家で下宿人のようにふるまうように指示を出す。 出された食事を大げさにほめ、低姿勢でおかわりを要求する。 親は普段と違う子どもの様子に困惑し、具合でも悪いのかと心配するが、大学の課題なのだと説明すると、「そんなくだらないことやっているのか。さっさと食べなさい」と返す。そうして、ほんのわずかな間攪乱された食卓の「日常」が一気に回復し、家族の「あたりまえ」が維持されていく。 このように、何気ない食事の光景であっても、普段の学生自身のふるまい・親のふるまいなど、「あたりまえ」を維持するための方法的実践によってつくりあげられている。 強固になった「あたりまえ」は、つねに反復されていることが気づかれないほどに安定し、執拗な現実として私たちの「日常」を構成していくのである。 82p 一方で、「あたりまえ」を維持している秩序は、常にその意味が変容する可能性を持った恣意的な現象でもある。 私は新幹線通勤をしている。大抵朝は空いていて前後左右の席がガラガラなことも多い。同じ時間にいつも乗っている「乗客仲間」は、お互い距離をとって座っている。 ところが、時にそうでない乗客が乗ってくることがある。 あるとき、私が2Aに座っていたら、後から乗ってきた人が2Cに座ったのだ。ほかはガラガラなのにである。 自分のパーソナルスペースを害されたような気分になって、結局私の方が移動した。 その方は急いでいる雰囲気だったので、出口に近い席に適当に座ったのだろうと想像するが、「もう少し周りに配慮できないものか」と思ってしまった。 「新幹線車内では他人とはできるだけ距離をとって座る」というのが私にとっては「あたりまえ」だったが、それは少しも普遍的ではなく、その方にとっては「あたりまえ」ではない恣意的な現象だったといえるかもしれない。
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・いまひとつまとまり感がなかった。 ・「いま・ここ」 ・電車でスマホしかみない客たち ・「当たり前」を疑う ・リア充
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社会学における「フィールドワーク」の位置づけを学ぶことができる。できる限り自分を「あけておく」という表現が興味深い。
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