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わたしの哲学入門 講談社学術文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2014/04/12 |
JAN | 9784062922333 |
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わたしの哲学入門
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商品レビュー
4.4
11件のお客様レビュー
隙間時間を見つけて読み進めるも、読むのに2ヶ月もかかってしまった。入門と呼ぶには易しくはない部分もあったが、用語を整理してもらえることで昔から今までの哲学の流れがよく掴めたし、他の哲学系の解説書に進む前に読むのに最適だと思いました。
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前半は、木田元さんの生い立ちとどのような経緯で哲学を学ぶに至ったかの記録。中盤は、ハイデガーと、木田元さんが『存在と時間』を理解するために遡って読んださまざまな哲学者たち(カント、ニーチェ、ヘーゲルなど)の思想の解説。そして最後は「哲学」と「反哲学」という概念についての説明と考...
前半は、木田元さんの生い立ちとどのような経緯で哲学を学ぶに至ったかの記録。中盤は、ハイデガーと、木田元さんが『存在と時間』を理解するために遡って読んださまざまな哲学者たち(カント、ニーチェ、ヘーゲルなど)の思想の解説。そして最後は「哲学」と「反哲学」という概念についての説明と考察。 前半と最後の部分がとても興味深かった。日本の哲学界の第一人者である木田元さんは、もともといわゆるエリートで有名大に入って心もお金も余裕がある中で哲学を学んで、といったタイプでは全くなく、実はその正反対の人生を歩んでこられた苦労人だったということが衝撃だった。戦後の混乱の中で、人生に救いを求めてドストエフスキーなどを読んでいるうちにハイデガー『存在と時間』に出会い、この本をしっかり読んでみたいという熱意で大学に入った。入学後、半年でドイツ語を独習し、次の半年で『存在と時間』を読み終えた。しかしあまりに難しくてこれでは論文が書けないと一旦距離を置くことを決意。その間にソクラテスやプラトン、カント、デカルト、フッサールなどについて学び、やっとハイデガーについて論文を書けたのは『存在と時間』との最初の出会いから実に三十年も経ってからのことだったそう。そんなに長い期間、ハイデガーへの熱がずっと燃え続けていたというのが本当にすごいと思う。その一方で木田さんは、当時の多くの学生たちがそうであったように、ハイデガーという人自身に心酔し、神格化して崇めたりすることはなく、どちらかというとハイデガーの性格の悪さに辟易していたという。一度は本人に会えるチャンスがあったのに断ったそうで、木田さんのそういう冷静な距離の取り方もかっこいいなあと思った。 中盤部分はハイデガーが影響を受けたさまざまな哲学者の思想を解説していて、おそらく『わたしの哲学入門』というタイトルからしてこの部分が本書のメインとなるはずなのだけれど、とにかく難しくて、潔く諦めてガーッと飛ばしてしまった、、、わたしは大学のとき卒論で『存在と時間』を扱ったけれど、『存在』の部分はわりと頑張って何度も読んだものの『と時間』以降やハイデガーの他の論文はほとんど触れる余裕がなかったし、他の哲学者についても「西洋哲学史」のような授業でサラッと触れた程度なので正直もうあまり記憶に残っていない。だからこの中盤部分、次から次へと出現する哲学者の名前と見慣れない用語、その独特な読み方についていくことができなかった。無念、、、 難しい本を読むと、自分の頭のキャパシティ的にその内容全てをしっかり理解することができなくてもどかしさを感じる。けれど、ほんの一部でも興味深いと思う箇所があったり、今まで持っていた知識と重なるところがあったりしたなら、それだけでも十分その本を読んだ意味はあったといえるのだと思うようにしている。
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「闇屋になりそこねた哲学者」として知られる著者が書いた哲学の入門書です。ハイデガー哲学との出会いから、「存在の歴史」の構想への理解が深まり、「反哲学」という視点を獲得するまでの著者自身の歩みを振り返りながら、読者を哲学の世界へと案内しています。 著者は、ユクスキュルやメルロ=ポ...
「闇屋になりそこねた哲学者」として知られる著者が書いた哲学の入門書です。ハイデガー哲学との出会いから、「存在の歴史」の構想への理解が深まり、「反哲学」という視点を獲得するまでの著者自身の歩みを振り返りながら、読者を哲学の世界へと案内しています。 著者は、ユクスキュルやメルロ=ポンティの思想に触れたことがきっかけで、ハイデガーの思想をしだいに理解できるようになったと述べています。フッサールは、当時行き詰まりに陥っていた心理学の方法論的改革の試みとして現象学を構想し、そうした初発のモティーフを忠実に受け継いだのがシェーラーやメルロ=ポンティでした。ハイデガーもまた、シェーラーから大きな影響を受けていました。著者は、このような19世紀末の精神史を広く眺めつつ、ハイデガーの哲学を理解する視座に立つことができたといいます。 しかしやがて著者は、ハイデガーの哲学的努力が存在論の歴史の解体に向けられていたことに気づきます。ソクラテス以前の哲学者たちは、「自然」を生成するものと考えていまおり、「制作」もそうした自然の「立ち現われ」の一様態と考えられていました。ところが、こうした自然理解はプラトンのもとで変質してしまうことになります。ここにいたって「技術」は、もはや自然の生成の一つのヴァリエーションではなく、自然と対立する働きと理解されるようになりました。こうして西洋形而上学の伝統がはじまったとハイデガーは考えます。 著者は、ハイデガーのこうした「存在の歴史」の見方を踏まえて、プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、シェリング、ヘーゲル、ニーチェの思想を読み解く視点を示しています。そのうえで、西洋形而上学が普遍的な知などではなく、プラトン以降に成立した特殊な知の形態であることを白日のもとにさらす「反哲学」という思想的営為が必要であることを主張しています。
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