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柳田国男の学問は変革の思想たりうるか(7) 柳田国男研究
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柳田国男研究会【編】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 梟社/新泉社
発売年月日 2014/03/19
JAN 9784787763297

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2014/06/27

この本を読んでいないが、問題意識はあるので、今日書いた文章を載せる。 100分de名著「遠野物語」(4最終回) 大学時代、教養学部で民俗学概論の授業を受けた。その年に赴任して来てまだ30代だと思う若い講師が「民俗学のサークルを作りたい。ついては、毎週土曜日研究室で集まりをする...

この本を読んでいないが、問題意識はあるので、今日書いた文章を載せる。 100分de名著「遠野物語」(4最終回) 大学時代、教養学部で民俗学概論の授業を受けた。その年に赴任して来てまだ30代だと思う若い講師が「民俗学のサークルを作りたい。ついては、毎週土曜日研究室で集まりをするから寄ってみないか」と誘ってきた。私はその頃梅棹忠夫の「文明の生態史観」を読み、小松左京「未来学」、加藤周一の「雑種文化論」を読んで、日本文化論と民俗学的な日本史へのアプローチに興味を持っていたので、新聞会という処で新聞作りもしていたのだが、参加することにした。 講師は高桑守史先生と言って、都市民俗学を専門にする気鋭の学者だった。時には自宅まで招待してくれた。美人の奥さんは人類学を専攻している平等なパートナーだった。常民文化研究会と名付けたそのサークルは、自由な学びの環境だった。私はそこで大学で学ぶ意味を初めて本格的に教えられた気がする。 「私は自分の生きている日本の未来を知りたい。だからこそ、歴史を学ぶんです。そのためには、教科書的な歴史では不十分。文字化されていない、民衆の本当の歴史を知る必要がある」 高桑先生は議論を好んだ。私は、そんな背伸びした問題意識も披露したと思う。 「いいなあ。柳田は正にそういう問題意識で民俗学を始めたんだ。経世済民が柳田の動機だった」 「そう教えられて、柳田の日本人論を読みました。けれども正直ガッカリしました。政治は腐敗しているのに、相変わらず金権政治がまかり通っている。なぜそうなるのか。それが変わる原動力を民衆の中に見出そうと思ったのに、柳田は日本人とは何かと問われて結局"事大主義だ"と言ったんですよ。長いものに巻かれる。なんなんだ、それは。それは敗北宣言じゃないですか!どこを読んでもそれを克服すべきなんの処方箋も用意していない」 「君は柳田を性急に読み過ぎる。よく読めば、昭和30年代にそうまとめた柳田の気持ちがわかるはずだ」 「わかりませんね。柳田は細かい処に入り過ぎて、歴史の動く姿が見えなくなったのではないか。確かにマルキシズムをそのまま日本に当てはめるのは危険かもしれませんが、日本の置かれている矛盾は説明することが出来る」 「民衆に変革の契機が無いとは、柳田は思ってなかったはずだよ」 高桑先生も70年安保ではデモに出たことがあったと云う。しかしそれに疑問を感じて民俗学に入った経緯があった。私はやっと「共産党宣言」を読んだばかりだという20歳の若造だった。何時の間にかしたり顔マルクス主義の立場で論争することがよくあった。 しかし、こういう論争は、例えば民俗調査で合宿した時に一升瓶を空けながらなされたもので、結局結論の出るはずのないものだった。やがて私は新聞会の仕事が忙しくなったのを言い訳にして、常民文化研究会を離れていった。あれから34年、高桑先生とは一度も会っていない。 閑話休題。100分de名著の最終回である。柳田は「この書を外国に在る人々に呈す」と序文で書いて、日本の文化を世界的な視野で読み取ろうとした。33歳の農政官僚だった柳田國男の問題意識は最初から高かったのは、確かだろう。また、(番組では触れられなかったが)決して積極的に戦争に協力はしなかった。学問の性格から、いくらでもナショナリズムに傾くことが可能だったのにもかかわらず、である。 「悲しみを乗り越える時は笑いは必要」 「凶作を伝える馬追い鳥」「コノハズクが里に来て啼くとその年は飢饉になる」 貧しい日本人がピンチを乗り越えるためのこれらの知恵を、柳田はひとつひとつ掘り起こそうとしていたのかもしれない。そのことは、20歳の私には見えていなかった。 「祖父は狩猟民的、祖母は農耕民的」な知恵は既に失われつつあった。「自然にはかなわないと知った時には、謙虚になる。」自然との共生を描いた、遠野の話の数々の先に、したたかに生きて来た日本人の歴史があるはずだ。 それは確かに従来の文献史学では、見つけることが困難な分野ではある。 一方、この20年間で私が学んで来た考古学は、自然との共生の仕方を科学的に証明し、文字化されていない民衆の日本史の一部を明らかにするだろう。文献史学、考古学、そして民俗学とが連携して、私が性急に求めて果たせなかった、そして未だ誰も明らかにしていない、日本人の未来の有るべき姿が、いつか明らかになりはしないか。と私は残り少ない人生で、当てもなく、探してゆくのである。

Posted by ブクログ

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