1,800円以上の注文で送料無料

ぼくの沖縄“復帰後
  • 中古
  • 書籍
  • 新書
  • 1226-26-01

ぼくの沖縄“復帰後"史 ボーダー新書009

新城和博【著】

追加する に追加する

ぼくの沖縄“復帰後

定価 ¥1,100

550 定価より550円(50%)おトク

獲得ポイント5P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 ボーダーインク
発売年月日 2014/02/01
JAN 9784899822486

ぼくの沖縄“復帰後"史

¥550

商品レビュー

5

2件のお客様レビュー

レビューを投稿

2023/05/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

沖縄タイムス文化面にお題に対しての随想録、その時の年表、出来事事件の写真や注釈などで紹介。1945年沖縄戦直後から1972年まで日本から分離されたアメリカ施政権下、1972年5月15日27年ぶりに沖縄は日本に復帰、その間どういう体験をしたか社会的出来事を著者が個人的な体験、視点でまとめたもの。懐かしすぎて付箋だらけになった。沖縄の友人と語り合いたい内容ばかり。ダイナハ、海洋博、ナナサンマル、断水、バススト、日の丸君が代問題、米兵による少女暴行事件、安室奈美恵、ちゅらさん、美ら海水族館、ゆいレール、沖国大米軍ヘリ墜落、興南高校野球部、春夏連覇など。 『1981年 具志堅用高敗れる!』「生まれジマの言葉を持ち続けることが、真の強さにつながることを表現」「沖縄ブームの基層のひとつを形成」 慰霊の日休日廃止問題は週休二日制の導入だったのか!現在も休日である。 90年代の沖縄ブーム、「日本になりたい沖縄」「日本になれない沖縄」でもない、新しい沖縄のイメージを構築すべく、沖縄の生活文化の面白さで「新しい沖縄イメージの創出」、「沖縄県民の観光客化」などの言葉が印象的だった。 いまは住宅商業地域としてにぎわっている那覇新都心となっているおもろまちは、悲惨な激戦区「シュガーローフ・ヒル」(慶良間チージと地元では呼ばれた)を含む、天久住民が再び集落を形成したのに最初に強制収用された土地で米軍専用の住宅地「マチナトハウジングエリア」だったとのこと。復帰後から徐々に返還、しばらくは広大な空き地状態(正月は家族で忍び込んで凧あげをした思い出がある)。 沖縄住民の自立性について、影の中に光を織り込んで被植民地化された人々の複雑な現実を生きる方法と智慧があった(仲里効)アメリカ統治という時代は、伝統を抱えながら、絶えず何かを想像し表現したいと思う沖縄びとの時間だったと感じた(高良倉吉) 基地問題の現実的対応で絶えず厳しい選択を迫られる政治状況への閉塞感漂う沖縄現代史、歴史の転換期を押さえつつ、振り返ることができた。

Posted by ブクログ

2014/09/14

自分の生きた時代を、こんな風に私は語れるかしら。その時々の世相をしっかり捉え直しながら、その中に生きてきた自分を確認できるかしら。読み終わった後に、そんな風に考えてしまいました。 何度かお話させて頂いたことのある新城さんの著作です。何故か積ん読してたんだぜ…。 パワフルな方だな...

自分の生きた時代を、こんな風に私は語れるかしら。その時々の世相をしっかり捉え直しながら、その中に生きてきた自分を確認できるかしら。読み終わった後に、そんな風に考えてしまいました。 何度かお話させて頂いたことのある新城さんの著作です。何故か積ん読してたんだぜ…。 パワフルな方だな〜でも、体育会系のノリとは何か違うな〜と、勝手に親近感を覚えたことが懐かしく思い出されます…(笑)。 沖縄の戦後史? 本土復帰と海洋博と基地問題ですかね…と、「教科書に載ってる歴史」以上のことは実感としてはなかなか分からない(生まれる前の話なんだからそりゃそうなんですが)、そんな事件やイベントが、著者の個人的な思い出と合わせて書かれた本作。 記録として報告される事実と、思い出として語られる言葉は、こんなに温度差があって、こんなに説得力に違いがあるんだなあ、と感じました。ただデータを残すのではなく、語り継ぐことの重要性っていうのは、こういうところにあるのかな。 是非見習いたいと思ったのは、「批判」の表現の仕方ですね〜。私自身、気を付けたいと思いながらも、批判する時に出てくる言葉はどうしてもネガティブかつ攻撃的になりがちなんですが、新城さんの言い回しはエスプリが効いてるのよね〜。チクリと刺しつつクスリと笑えちゃう感じ。…「エスプリ」って言うとなんかシャレオツな感じするな〜(笑)。「ウィットに富んだ」? 何だろ(笑)。 私の中での一つのターニングポイントは、1995年です。これは確信持って言える。 阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、そして当時の私とほとんど変わらない少女が被害に遭った事件に対する抗議大会。父と喧嘩して激昂して泣く以外で、母が初めて涙を見せたから、すごく驚いたことを覚えています。 初めて沖縄を出て東京に行った年でもあったなあ。地下鉄サリン事件から一週間も経たずに行ったな…。家族で社会問題について語り合うようになったのもこの頃からじゃなかったかしら( ^ω^ ) っていうことを考えて行くと、1999年の沖水の春の甲子園優勝の時は祖父の葬儀でものすごく晴れてる日だったなあとか、9.11の時は金田一少年のドラマが突然ツインタワーの映像に切り替わって鳥肌立ったなあとか、うん、意外に鮮明に覚えてるなあ。 なんか、長くなった〜(笑)。いつものことだけど(笑)。 メモるのだよ( ^ω^ )φ ◉沖縄が日本になる為に躍起になった1970年代〜本土からやってくるものへの不安もありつつ〜◉ 復帰すると沖縄にも雪が降ると子供たちは信じていた?!笑 ダイナハ(VS公設市場からの〜)、海洋博、ナナサンマル ◉ヤマトンチューになりたかった1980年代〜コンプレックスはあるけど、具志堅用高はやっぱりウチナーンチュのヒーローだった〜◉ ちょっちゅね〜(グシケンヨウコに反応する琉大生(笑)、日本記録の断水、バススト(東洋バスだけはしなかったらしい(笑)、西銘順治、日の丸・君が代問題(掲揚するけどコッソリと、歌は歌いませーん)、慰霊の日問題 ◉沖縄らしさを模索し始めた1990年代〜沖縄POPカルチャーの流行と基地問題の顕在化〜◉ 復帰前後のデモとは違うシュプレヒコール、沖縄ブーム(ハゲ=ミステリーサークル(笑)、首里城開園、10.21県民総決起大会 (静かな怒りの共有に、ある種の心地よさ)、ナビィの恋 ◉閉塞感の2000年代〜ウチナーンチュの闘いは終わらない サミット(プーチン怖い…いつまで現役なん…)、ちゅらさんブーム、美ら海水族館開館、稲嶺知事大勝からの辺野古沖埋めたて合意、ヘリ墜落、教科書検定問題、オスプレイ問題(抗議大会だけ時間通り(笑)、 動かざること米軍基地の如し

Posted by ブクログ