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山下清と昭和の美術
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 名古屋大学出版会 |
発売年月日 | 2014/02/17 |
JAN | 9784815807627 |
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山下清と昭和の美術
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本文410ページ、註が57ページ、関係書誌リスト34ページ、図版リスト4ページ、索引7ページ…うわぁ。 片手で持てない重さの本を久しぶりに読了できた。 この満足感だけでも☆4つ行きそうなくらい。 もちろん内容も実に厚みがあって、さまざまな事柄を並べながらも、それぞれの比較・論...
本文410ページ、註が57ページ、関係書誌リスト34ページ、図版リスト4ページ、索引7ページ…うわぁ。 片手で持てない重さの本を久しぶりに読了できた。 この満足感だけでも☆4つ行きそうなくらい。 もちろん内容も実に厚みがあって、さまざまな事柄を並べながらも、それぞれの比較・論証・問題提起がなされており、ものすごく面白いと同時に めっちゃ疲れた いや、というかまだいろいろ考えさせられているので疲れて「いる」と言うべきか ここ数年、さまざまな団体の主催によって、これまたさまざまな場所で 障がい者アート エイブル・アート アウトサイダー・アート アール・ブリュット などなどの展示が行われているけれど、代表的な「障がい者」であり「アーティスト」であった(はずの)山下清は、どこのフィールドにも属していない。それは何故か。 まず1939年の最初の個展において、彼は『特異児童』として紹介され、その作品は安井曾太郎や梅原龍三郎などのオーソリティから、ある意味「正統派」のアーティストとして評価を受ける。一方、小林秀雄、谷川徹三などからは「純正なアートとしての深みはない」と酷評される。 はて、そもそも「純正なアート」とは何ぞや? そして福祉の分野からは「障害があってもこれだけのことができる」という視点からの期待と評価を受けることになった。それはそれで目的あってのことだったのだけれど。 そして15年後の1954年、再び彼は『裸の大将』『日本のゴッホ』として再デビューし、今度は彼の作品だけではなく、彼自身が鑑賞と批判と評価の対象となってしまう。 同じく精神疾患を患っていたゴッホに擬えられ、各種のメディアで訥々とした話しぶりを報道されることによって、彼は単なる「アーティスト」だけではなくなってしまい、彼の作品に正統な評価を受ける機会はむしろ少なくなってしまったようだ。 2種類の、全く異なる視点からの評価と批判を受けることによって、彼も彼の作品も「正統」と「異端」の間の「どこか」に浮遊したままになっている。この事実をもって、著者2名は曖昧な定義づけが蔓延していた「昭和の美術」を鮮やかに批判してみせた。 読んだ甲斐あったぁ〜、良かった。
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『山下清は、少年期から晩年まで、年齢を重ねても内面はあまり変化のない人物だったという。それにもかかわらず、彼には、「天才特異児童」、「日本のゴッホ」、「放浪の特異画家」、「はだかの王様」、「裸の大将」、「永遠の自然児」という具合に、次々と異なる愛称が与えられる。彼が変わったのでは...
『山下清は、少年期から晩年まで、年齢を重ねても内面はあまり変化のない人物だったという。それにもかかわらず、彼には、「天才特異児童」、「日本のゴッホ」、「放浪の特異画家」、「はだかの王様」、「裸の大将」、「永遠の自然児」という具合に、次々と異なる愛称が与えられる。彼が変わったのではなく、彼を取り巻く世界と時代が転々と変化し、時代が好む都合のよい名が付与されたのだ。彼は時代を受け入れる容れ物であり、時代を映す鏡であり、時代の病を可視化した症候である。山下とその綽名の変化のプロセスを追跡すれば、彼をある時は受け入れ、ある時は拒絶し、また、ある時は無視して忘却してみせた昭和の美術界や福祉界の相貌を描き出すことができるだろう。』本書p.7
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「社会に定着した山下清の偶像を洗い直していくその手際は、見事である。」「(偶像には)語る者たちが障害者を思う姿こそが反映されている。」(朝日新聞書評より抜粋)
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