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「倭国乱」と高地性集落論 観音寺山遺跡 シリーズ「遺跡を学ぶ」091
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「倭国乱」と高地性集落論 観音寺山遺跡 シリーズ「遺跡を学ぶ」091

若林邦彦【著】

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「倭国乱」と高地性集落論 観音寺山遺跡 シリーズ「遺跡を学ぶ」091

定価 ¥1,650

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新泉社
発売年月日 2013/09/30
JAN 9784787713315

「倭国乱」と高地性集落論 観音寺山遺跡

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2015/10/24

シリーズ「遺跡を学ぶ」の比較的新しい弥生遺跡の巻(2013年刊行)。一つの遺跡を深く学ぶことは、大きくはその周辺の学説を学ぶことになる。という私の目論見は当たり、大変面白かった。 当初、「高地性集落は倭国大乱の証拠である」という説があったのだが、それが「実は違うのではないか」と...

シリーズ「遺跡を学ぶ」の比較的新しい弥生遺跡の巻(2013年刊行)。一つの遺跡を深く学ぶことは、大きくはその周辺の学説を学ぶことになる。という私の目論見は当たり、大変面白かった。 当初、「高地性集落は倭国大乱の証拠である」という説があったのだが、それが「実は違うのではないか」ということは聞いていた。しかし、その学説の変遷を詳しく知ることはなかった。ここではかなりわかりやすく説明している。 弥生時代の暦年代観の変化によって、当時魏志倭人伝の云う二世紀後半の高地性集落説は、ほとんどが脱落した。そもそも中期に栄えた高地性集落(瀬戸内の貝殻山、紫雲出、真菰谷など)は、最初から大乱とは無関係の所にあったし、後期のそれも、多くは後期前半に入り、大乱とは関係なくなった。 そういう目で、改めて観音寺山遺跡を見る。著者はこの遺跡を、(1)小規模な「戦」を生み出しうる弥生社会の中で生まれ、(2)高地にも集落を立てることができるようになった社会の反映として生まれた存在だと見る。観音寺山遺跡は、私もそれでいいと思う。ただ、若干疑問も残る。 多い時で100人ほどが住んでいた「観音寺ムラ」としての、一つの戦闘集団。このムラが100年ほどの間に(3ー4世代?)、急速に過疎地化したのが気になる。そんなに住みにくいところだったのか?それよりも、若者は「都会」に向かったのではないか。都会とは何か。纒向である。或いは他の急速に「クニ」として形を整えていった所である。 観音寺山遺跡の人々はついには鉄の武器は手にしなかった。しかし、石で作った武器の使い方には慣れていたのだろう。そういう「武術」を使えるところを目指して、この頃人口の移動があった可能性はないだろうか。 著者には、是非そんなところも研究してもらいたい。

Posted by ブクログ

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