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私たちはどう生きるべきか ちくま学芸文庫
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私たちはどう生きるべきか ちくま学芸文庫

ピーターシンガー【著】, 山内友三郎【訳】

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私たちはどう生きるべきか ちくま学芸文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 筑摩書房
発売年月日 2013/12/12
JAN 9784480095817

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2022/01/01

究極の選択: アィヴァン・ボウスキーの選択 ギュゲースの指輪 「いったい何のためにこんなことをしているんだ」 歴史の終わりか、それとも非宗教的な倫理の始まりか 倫理と私益 「そのどこが私のためになるんだ」: 失敗に向かいつつある社会実験 共同体の喪失 世界を使い果たす: ジ...

究極の選択: アィヴァン・ボウスキーの選択 ギュゲースの指輪 「いったい何のためにこんなことをしているんだ」 歴史の終わりか、それとも非宗教的な倫理の始まりか 倫理と私益 「そのどこが私のためになるんだ」: 失敗に向かいつつある社会実験 共同体の喪失 世界を使い果たす: ジャン=ジャック・ルソーかアダム・スミスか 遺産をたよりに生きること 流し台があふれるとアダム・スミスは時代遅れになる どのよぅなときに私たちは裕福なのか この生き方の由来はどこにあるのか: よこしまな本能 アリストテレスにおける金もうけの技術 商人は神に気にいられるか ルターの召命とカルヴアンの恩寵 宗教と世俗の接近 消費者社会 しおれた緑の新芽 レ—ガン時代―「汝自身富め」 利己心は人の遺伝子の中にあるか: 利己心の生物学的論拠 子どもに対する配慮 親族に対する配慮 自分が属する集団に対する配慮 日本人の生き方: 日本―社会的試みは成功したか 倫理的共同体としての会社 自己と集団 お返し戦術: 私たちを気づかってくれるものを気づかう 「お返し戦術」でもっとうまくやる 私益と倫理-当面の結論 倫理的に生きる: 英雄たち 緑の新芽 なぜ人は倫理的に行為するのか? 倫理の本性: より広い視野にたって 倫理のジエンダー イエスとカント、なぜ倫理的に生きるべきかについての2つの見解 イエスとカントをこえて、究極の解答を求めて ある目的のために生きる: シーシュボスの神話と人生の意味 専業主婦とオーストラリア先住民と檻に入れられた雌鶏 競争に勝とうとすること 内に向かう傾向 自己をこえた大義 よい生き方: 豆粒ほどの前進 理性のエスカレーター 倫理的な生き方に向けて

Posted by ブクログ

2017/09/23

ざっくり掴んだところだと、 ・倫理的に生きることと利益を追求することの両立不可能性を主張する考え方を批判する →したがって、以上の前提を元にした「倫理的に生きることを諦めて利益を追求しさえすればよい」という考えや、「利益の追求を犠牲にしてのみ道徳的に生きることは可能だし、そうすべ...

ざっくり掴んだところだと、 ・倫理的に生きることと利益を追求することの両立不可能性を主張する考え方を批判する →したがって、以上の前提を元にした「倫理的に生きることを諦めて利益を追求しさえすればよい」という考えや、「利益の追求を犠牲にしてのみ道徳的に生きることは可能だし、そうすべきである」という考えは斥けられる。たぶん前者についても反論している(前半部は読み飛ばしてしまった)。後者については、倫理的に生きるのは利益のためにもなるし、それ以外の正当化はないと反論。 しかし、倫理的かつ利益追求的な生き方をするべきであるとして、どうやって人はそれに動機付けられうるだろうか。そこで、人生の意味の問題、ニヒリズムの問題に入る。 永遠に岩を押し上げ続けなければいけないシシュポスの生に何を追加したら有意味になるだろうか、という問いをとりあげる。可能性の一つは、その岩によって神殿を建設するという目的であり、もう一つの可能性は、岩を押し上げたいという欲求である。シンガーは、前者によってこそシシュポスが救われるのであって、後者ではそうではないと考える。追求することで生に意味を満たしてくれる欲望と、そうでない欲望が客観的に区別されうることをシンガーは説く。 そして、論証できているかは正直分からないが、客観的な意味の追求が、心情的な問題の解決のための処方箋でもあるし、客観的に見て意味ある生の追求を抜きにした心情的な問題の解決のみのためのアプローチは、本来の目的をも達せない、と主張する。

Posted by ブクログ

2016/02/28

動物の虐待があっての肉食をいつまで人間は続けるのかとせまってきますが、菜食主義にはこれからもなれる自信はまだじぶんにはないことの恥ずかしさを痛感しました。弱者を見つめた生き方ができないと、だめであることも教えられますが、できることから、まずやってみることからでないと何も始まらない...

動物の虐待があっての肉食をいつまで人間は続けるのかとせまってきますが、菜食主義にはこれからもなれる自信はまだじぶんにはないことの恥ずかしさを痛感しました。弱者を見つめた生き方ができないと、だめであることも教えられますが、できることから、まずやってみることからでないと何も始まらないことがよくわかりました。

Posted by ブクログ

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