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微笑む慶喜 写真で読みとく晩年の慶喜
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 草思社 |
発売年月日 | 2013/12/13 |
JAN | 9784794220240 |
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微笑む慶喜
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爵位されてからの写真で見る慶喜。 一門の集合写真。一門のつながりはこの時期ではしっかりあったようだ。自家でも子だくさん。自己の血統をつなげたかったのか。 慶喜が公の席に顔を出すようになったのは授爵の後、明治36年、67歳の時からだった。毎週木曜日の例刻参内はよほどのことがない...
爵位されてからの写真で見る慶喜。 一門の集合写真。一門のつながりはこの時期ではしっかりあったようだ。自家でも子だくさん。自己の血統をつなげたかったのか。 慶喜が公の席に顔を出すようになったのは授爵の後、明治36年、67歳の時からだった。毎週木曜日の例刻参内はよほどのことがないかぎり欠かすことはなかった。張るの観桜会、秋の寒菊会、御譜代会にも毎年出席。 「御授爵記念日」五七の桐の大礼服に身を包む、1人の写真。 明治35年(1902)6月3日(66歳):公爵となる。宮中に行く。西郷隆盛の嗣子・寅太郎も亡父隆盛の維新創業の功により侯爵を賜り同席した。 第六天の家には宗家の家達、その妻、嗣子家正らが挨拶に来た。「御授爵」には渋沢栄一の政府への働きかけがあった。 「御譜代衆主祝賀会」芝紅葉館中庭での集合写真。多くは紋付き袴姿。 明治35年6月22日(66歳) 旧譜代大名らによる「懇親会」の幹事役・榊原政敬により開催。松平容保の子・容大が参列。容大は慶喜へのわだかまりが晩年まで消えなかったとされるが、真偽はわからない。 「徳川・松平一門祝賀の宴」星岡茶寮にて(麹町にある) 明治35年6月27日 一門の六家(尾張、紀伊、水戸、一橋、田安、宗家分家の徳川厚家)が慶喜と家達を招いて開いた御授爵祝賀会の集合写真。徳川鉄子、など女子の姿もある。 「もう一つの御授爵記念写真」九段坂上「偕行社」における旧幕臣団体主催の集合写真。 明治35年12月7日 家達、家達夫人、慶喜の三女・鉄子、十女・糸子、十一女・英子など慶久・七男、昭武など。家達と慶喜が最前列中央に並んでいる。 <表紙の写真> 「三宮家による日露戦争凱旋祝賀会」於新宿御苑 明治39年1月26日 山高帽にフロックコート?で歩いているスナップ写真。家達、昭武、榎本武揚が写る。 「家族写真」 明治34年4月ごろ 子供とのみとった写真。このページに正妻・美賀子の晩年の顔写真あり。 国子・八女、鉄子・三女、経子・九女、糸子・十女、英子・十一女、誠・九男、仲博・五男、厚・四男、浪子・七女、慶久・七男、精・十男。婦人、側室はすでに亡。 「渋沢亭での新橋芸妓5人の元禄踊り」飛鳥山の渋沢亭 明治38年5月8日。渋沢栄一は明治37年5月に風邪をこじらせ急性肺炎で重体となった。が全快し、その記念に渋沢が慶喜のほか家達、昭武、達道、厚の各夫妻、家扶ら、総勢15人を招待した。 「勲一等旭日大綬章受章」明治41年4月30日受章。後日の徳川一門の写真。皆礼服。家達、昭武、紀州、田安家、厚、慶久。 「伊藤博文の国葬」爵位服の慶喜 日比谷公園で行われた国葬会場で。明治42年11月4日 松方正義、英国キッナー元帥など、サーベルを持ち頭にかぶり物。 「慶喜の葬儀」 大正2年11月30日。柩をかつぐ葬列が、小石川伝通院前の電車通りを進んでいるところ。担ぐものは頭冠に白装束。電柱電線が立っている。 戸板裕子:「徳川慶喜家の子ども部屋」「謎とき徳川慶喜」など徳川慶喜にかかわる編集を手掛ける。 2013.12.8初版発行 図書館
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いいお顔です 表紙にも採用されている自然なショットの慶喜。すごくいい。 お孫さんを膝に抱き、あやしている写真も。 それからの慶喜、といった感じで、明治以降の慶喜の写真を紹介し、資料にあたって、いつ、どこで、どんな背景で撮られたものか丁寧に解説していきます。 大概は、さあ、写真...
いいお顔です 表紙にも採用されている自然なショットの慶喜。すごくいい。 お孫さんを膝に抱き、あやしている写真も。 それからの慶喜、といった感じで、明治以降の慶喜の写真を紹介し、資料にあたって、いつ、どこで、どんな背景で撮られたものか丁寧に解説していきます。 大概は、さあ、写真を撮りますよ、といったアングルのものなのですが、最初に紹介した2ショットはそういった写真と違い、素顔の慶喜氏を切り取ったベストショットだと思います。 各章末の註として、関わった方々のエピソードが顔写真と共に語られているのもこの本の魅力です。 写真から、資料から、それぞれの人々を知りたい、紹介したい、という著者の熱い思いが伝わってきます。
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「一抹の遠慮を秘めつつ「人生そう悪いもんじゃなかった」のでは。」 大政奉還という形で武家社会に自ら幕を引いた最後の将軍、徳川慶喜。今に残る数々の写真からその晩年を読み解く。 晩年の慶喜像を浮き彫りにする、ということで、明治35年朝廷から公爵の位を授けられた御授爵エピソード...
「一抹の遠慮を秘めつつ「人生そう悪いもんじゃなかった」のでは。」 大政奉還という形で武家社会に自ら幕を引いた最後の将軍、徳川慶喜。今に残る数々の写真からその晩年を読み解く。 晩年の慶喜像を浮き彫りにする、ということで、明治35年朝廷から公爵の位を授けられた御授爵エピソードから紹介されていく。事実上の名誉回復ということだろう。 その祝賀の会に集った旧大名たちが慶喜を囲んで撮影された一枚の写真が壮観だ。40年前には髷に裃姿で江戸城へ登っていたであろう彼らが、上様を囲んで普通のおじさん然として写っている。 旧幕臣として維新後は辛酸を舐めたであろう彼らが、あたかも社長を囲む社員の集合写真のようにおさまるこの一枚は、旧主君の名誉回復を祝うというその集いの目的を想うとき隔世の観がある。 慶喜の晩年は、授爵され華族に名を連ねて参内を許された後、皇室からは篤く遇され、複数の宮家と親交を持ち婚姻関係を結ぶなど、「敗軍の将」としては破格だ。もちろんそこに、慶喜自身の人柄や、封建時代の幕引きに一役買ったことに価値を置く人々の働きがあったことも見逃せない。 晩年の慶喜を追った本書のタイトルが「微笑む」となっているように、本書を読み終えた自分の感想は、司馬遼太郎「最後の将軍」読後と同様、慶喜は「色々ありましたが、まあいい人生でしたよ」 と感じていたのではないかというものだった。 写真を撮るのも撮られるのも好きだったという慶喜の肖像写真。今一度見る。俳優津川雅彦似の濃いめの目元に横一文字に引き結んだ口もと。かつては国の第一線に座った者としての威厳も漂う。 だかその瞳には、歴史に対する一抹の遠慮もみえるように想える。慶喜が一廉の人物であったならそうであってほしいと思う。彼が穏やかな晩年を送った時代に至る、その陰には「徳川のお家大事」と散った多くの命があったのだから。
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